実はいつの頃からか、空が単純に好きになれなくなった。
 晴れた時の澄んだ空の色。水色、濃い水色。色々な形の雲。秋の高い空。日によって色が違う夕焼け。澄んだ空で見る星。単純に好きではなくても、空はよく見上げるし、その風景は大好き。特にその織り成す色。
 だけど、あまり長いこと見ていられない。ずっと見ていると、吸い込まれそうで、気が遠くなってしまうのだ。……いつかはなくなる地球。どうなってしまうの?宇宙という果てしない存在のようで、終わりがないわけではない。終わりは。どこ?怖い空。私はどこから来て、どこへ行くのかな。皆は?自分の小さい存在と、宇宙のあまりもの大きさが恐ろしくなる。
 そんな私の気持ちに、直接的ではないが、夫が応えてくれたことがある。自分の持っていた谷川俊太郎の詩の本を贈ってくれた。
 「宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う 宇宙はどんどん膨らんでいく それ故みんなは不安である 二十億光年の孤独に僕は思わずくしゃみをした」「空の青さをみつめていると 私に帰るところがあるような気がする だが雲を通ってきた明るさは もはや空へは帰ってゆかない 陽は絶えず豪華に捨てている 夜になっても私たちは拾うのに忙しい 人はすべていやしい生まれなので 樹のように豊かに休むことがない」「地球に夜があり昼がある そのあいだに他の星たちは何をしているのだろう 黙ってひろがっていることにどんな仕方で堪えているのか」『空の青さをみつめていると』(谷川俊太郎著 角川文庫)より
 どうです?絵本や可愛い詩しか知らない方も多いのでは?谷川俊太郎は、ものすごい詩人なのだ。しかしこんな偉大な人が書いた偉大な詩。私とは考えていることのスケールが違うかも。感受性も比べるのがおこがましいくらいに、鋭いのではないだろうか。ただ、伝わるものがあった。その表現力を「素晴らしい」としか言えないけれど。ああ、皆も感じる自然なことなのだと思えた。
 その空をじっくり45分、楽しんだ。その空に心を奪われた。胸がいっぱいになって感激した。星の動きで、時の流れを感じたこと。そして何より息子から得た知識のお陰で私も思い出したこと、覚えたものがあって、それがプラネタリウムの中で再現されることが面白かった。
 「今度は冬の星座を見に行こうかな。」なんて言っている息子だが、私は春夏秋冬、全部見たいぞ。