男の子の目の細胞は、白や黒を感じ取るもので、他の色にはあまり反応しない。ということを前回書いた。きちんとそういったことに対し、意識的にならないと、反応してこないのだ。画家など男性も多いし、段々その細胞の性差の違いは小さくなっていくという。しかし意識的な人の方がやはり、早くに性差を縮められるのではないかと思っている。そこは私の個人的な意見なので、いつか勉強してみたい。

 さて、本に話を戻す。
 さらに、女の子の持っている細胞は、あれは何か?という質問に反応するようなものであるらしく、男の子の持つ細胞は「あれはいまどこにあって、どこへ行くのか」という質問に反応するものであるそうだ。
 つまり、総合して考えてみると、女の子は、様々な色に反応する細胞があるから、たくさんの色を使って、質感のある「顔」を描きたがる。男の子の描く絵は、白の画用紙に黒色で、自動車や電車、飛行機など、乗り物というよりは「動く物」を描き、それがどこかに向かっている絵が多いのだ。まあ極端に言えば、乗り物が何かにぶつかっているような絵なども、そういった細胞からくるものだと本に書いてある。そこへ、大人の曇った表情と評価だ。「もっとたくさんの色を使ったら?」「お顔は?」
 そして、さらにここでは、子供たちに、子供としての男女の性差がない反応というのが出る。「‘自分の絵は、どうやら大人に好かれないらしい’ということが表情から理解できる」ということだ。それによって絵が好きではなくなる男の子が多いらしい。
 息子が年少の時、初めて描いた「人の絵の顔の部分」に、顔がなかった。それを見た時に私は絶句して、「アラ、最初はこんなものよね。」なあんて言いつつ、結構なショックを受けた。顔がない……。何か私の接し方に足りない所があるのでは?!
 しかしそれは逆だとこの本を読んでわかった。極めて正常。細胞も正常に働き、息子は大人の顔色をうかがうことなく「へぇ。どう描いたら良いんだろう?」と訳もわからずグシャグシャと塗りたくったのだ。そのうち段々意識して、顔を描くようになった。息子が何の頓着もせず、黒を使ったりグレーを使ったりする意味もわかるようになった。それで良いんだね。
 最近、ようやく遅まきながら、「お母さんの顔を描くね。」と、私の顔を繰り返し見て、ペンを持つことが出てきた。目や口は何も見ずに勝手に描いているが(笑)、「耳は?あっ見えてないか。」とか言うと、自分で判断して長めの髪を描いてくれた。その時の感激!(大袈裟)だってさあ〜、ついこの前まで、ダンナも私も誰もがはりねずみみたいな髪にしか描いてくれなかったんだも〜ん。