さて、そんなことがあったA君と息子だが、この時も、自分が子供の頃のことを思い返し、母にも聞いたりしてみた。
 私は外であったことを、積極的に自分から親に話すようなタイプの子じゃなかったし、揉め事なんて、あまりに日常化していたので、どうってことなかった。
 息子も幼稚園ではもっと色々あるのだろう。毎年行われる「両親学級」と呼ばれる参観日も、行ってみると、いかにも周りの空気にのまれている息子、そして先生の話をぽかんと口を開けて聞いている息子―を見て、あーこりゃストレスもたまるわ、と感じる。
 その時のA君と息子のことも、あまり気にしたくなかった。当人たちの問題でしょ、と言いたかった。なのに、A君のお母さんと結構交流があるので、それに甘えて彼女に「親が仲直りさせようとしないで良いけど、こんなことあったらしいよ」と伝えてしまった。
 どうなんでしょね。
 放っておいた方が良かったのかもと思う。大袈裟にしない方が良い、子供たちのことだから、そんなこと日常化してくるんだから、と。ただ、A君と息子は、先生方も認める仲の良さだ。ベタベタしてるわけでなく、いつも一緒に行動するわけでもなく、年少の時から、ふざけあって楽しんでいた。シャイなA君も私に時々笑顔を向けてくれて、私にとっても、すごく可愛い存在。私もつい特別視してしまったのかな。
 そんなことを思うと、私の母親の、ことある毎の対処に、感心せざるを得ない。兄が幼稚園でケンカしてきた時。私が泣いて帰った時。苛められていた時。
 私ももっと大らかに子供たちを見守りたい。
 こういったエッセーを色々書いているうちに、ダメだといわれていることを、こっそりしていたことの多さに気づく(笑)。細かいことだが、例えばウオークマンやマンガを学校に持って行っても、母は知っていたのかもしれないが、注意一つしたことない。交友関係も色々心配だっただろうが(実際には心配な友達づきあいはしていなかったのだが、危なっかしいと思うのが親心だ)、あまり口出ししてきたことはない。
 息子にいけないことはいけないと注意すべきと思いつつ、このくらい見て見ぬふりをしても良いのではと思うことは多々ある。でも息子は聞いてくるんだよね、いちいち。「これってダメ?」とかね。そりゃ聞かれたら「ダメ」と言うしかないよ。
 その辺の加減がとても難しいのだ。ウーン……と悩みながら「駄目」と言うこともあるし、聞かないでくれと内心思うこともあるんだよねぇ。自分で判断して自分で責任持って、チャッと適当にこなして下さいよ〜。と。
 でも、見て見ぬフリをした方が良い場合もあるだろうし、気がついたら注意してやらなければいけない場合もある。その辺の加減を間違えないようにしたい。ちょっとした違いのようで、大違いだと、心理学の本を読んでいてもそう思うからだ。
 簡単なようで、言い過ぎる親は多い。言い過ぎることは、子供が甘やかされることにもなってしまうし、言わなさ過ぎることで、子供に親の気持ちを勘違いされるのも間違っている。何を言うべきか、言わないでも良いことか、その時その時の判断は的確でありたい。