さて、いよいよ『男の子の脳、女の子の脳』(レナード・サックス著  谷川漣 訳 草思社)の内容だ。
 一番に興味をひいたのが、目の細胞についてだ。
 目の網膜から送られるシグナル。そのシグナルがどこに向かうかと言えば、神経節細胞だ。その細胞が男女で違うというのだ。
 生まれて間もない赤ちゃんに、モビールとお母さんの顔を見せる実験がある。そこで女の子は、ほとんど間違いなくお母さんの顔を見た。そして男の子はモビールの方を見たそうだ。これは、親が与える物によって性差ができていくのではなく、生まれつきのものであるという証明の一つになり得る。女の子は、人の顔など質感のある物に視線が行き、男の子は動く物に視線が行くという「細胞の性差」なのだ。「目の構造の性差」と言えるらしい。「男性では、脳の多くの部位に、Y染色体によって直接コードされるたんぱく質が豊富に存在する。こうしたたんぱく質は、女性の脳には見られない。対照的に女性の脳には、X染色体によって直接コードされる物質が豊富にある。このX染色体から転写された情報は男性の脳組織には見られない。」ここまではっきりしているとのことだ。ここ二十年でわかってきたことらしい。
 これはホルモンによる違いではなく、遺伝的に組み込まれたものだということだ。面白いのは、ゲイやレズビアンの存在ですね。例えば、男の姿で生まれたのに女の人の心を持っていたり、逆の場合も聞きますよね。こういった例はどうなると思いますか?
 実は。やはり男として生まれた限りは、男の細胞を持っているらしい。例え心が女だとしても、目の細胞は男としての働きを示す。女として生まれた場合も、やはり目の細胞は女としての働きをするそうだ。それでも彼らは「心が女だ」「心だけは男なのだ」と主張する。だから、それってよっぽどなんですよ。しかしですね、彼らが精神的に落ち着くことがあるとしたら、基盤が男であること、女であることを認めないと駄目なんじゃないでしょうか。その上で、「でも心は女」「そうは言っても心は男」だから、女の人を好きになったり男の人を好きになったりする。それって本当に「仕様がない」んじゃないでしょうかね。
 それにしても、これってすごい発見ですよね。どんな人でも、そういったことが遺伝的に組み込まれていること。これはだって、幾ら誰が何と言おうと、「構造による性差」という事実なのだから。
 そういった構造、細胞のために、女の子は、赤や緑など、様々な色を使ったものに反応しやすく、そういった色を使った絵を描きやすい。つまり、幼稚園の先生やお母さんたちが推奨したくなる「たくさんの色をつかって絵を描きましょう」「人の絵も描いたら?」という絵は、女の子の方にとっての方が簡単なのだ。
男の子の目の細胞は、そういったものに関心がいかない。黒と白とを判別する細胞だけはあるので、それで、黒や灰色などを使って、動いている物を客観視したような絵を描きがちだ。
 身に覚えのあるお母さん方、多いんじゃないでしょうか。