岡村靖幸の音楽の良さについて、夫となる彼と話してみると、「岡村ちゃんの音楽の良い所は歌詞じゃないんだよね〜。あの歌詞は笑えるよねぇ〜。」という私と「いや、男の人の思っていることってあんなもんだよ。あの歌詞を書きたくなる気持ちはよくわかる。」という彼とで、多少意見は分かれたものの、それから「この人、上辺の見た感じや印象だけじゃなく、ちゃんとその人の本質を見ようとする人なんだ。」と意識するようになった。
 ずっとずっと遡るが、高校3年の時に、滅多に一緒に喋ったり遊んだりしない友達の家に偶然呼ばれ、彼女が偶然岡村靖幸のCDを持っており、偶然皆が来た時にそのCDをかけ、偶然それを聴こうという気にならなければ、すぐに夫になる彼と「合うのかも」と思えなかったかもしれないし、さらにそれによってその後奥田民生の音楽も聴かなかったかもしれない。
 運命ですな!(笑)
 全然違うけどね、岡村靖幸奥田民生。音楽の方向性も、人間的にも。ぜんっぜん違うけどね。でも私の中ではつながってるんだなあ。

 そんな彼が、近年色々ありました。
 彼の歌詞の傾向を考えると、確かに行き詰まりそうなのはわかる。実際に彼は「歌詞が出てこなくなった。」ともらしていたそうだ。しかしだね、10数年前に、5年ぶりくらいに出したアルバムで、楽器だけというか、歌詞のない曲があったんだけど、私はそれでもすんごいカッコ良いなと思ったんだけどな。でも当人にしたら、歌詞が出てこない自分が耐えられないのだろうか。
 又、そのアルバムの最後の方の曲で、「僕には消化不良になるようなヌード写真が最近は多い」というようなことを歌っている。受け入れられないなら理解できないでも良いじゃない。今の年相応に感じていることをそのまま歌詞にしたら良いじゃない。時代についていけないって思ったら、それを不安に思ったら、それが魂の叫びでしょ。
 ……最近の時代の流れについていけない自分を認めたくないのかな。オッサンになるのが怖かったのか。売れ続けるプレッシャーに耐えられなかったのか。或いは、自分が自分でいるしかないことをあきらめられなかったのか。もっともっと色々辛いことがあったのか。
 心の中まではわからないけどさ。わからないけど、あぁ、どうしてそっちの世界行っちゃったかなあ。ファンは、彼の心の葛藤を理解しつつ、彼のやってしまったことに対しては、本当に残念だと思っているのだ。