『アダルト・チルドレンと家族』(斉藤学 学陽書房)を読んで、なるほどな〜と納得した部分があったので、それについて。
 自分が落ち込んだ時に、どう自分を立ち直らせるかという話だ。コツがあると言う。人それぞれ、共感する曲を聴いたり、元気の出る曲を聴いたり、ストレス解消になることをしたり、色々あるだろう。
 しかし、どうしようもない気持ちが拭えないことってありますよね。あーもう私、ダメだわ。いやな私だ。こんな私はお母さん失格だ。家事がたまってる。旦那とケンカした。親とケンカした。子供とケンカした。近所とうまくやっていけない。母親友達とうまくやっていけない。自分はこれからどうやっていこう。などなどなどなど!
 まずは、一番難しいことなのだが「あきらめる」ということだそうだ。人への期待をあきらめ、自分への理想をあきらめる。こんな人でありたいという、実はストレスやプレッシャーになっている事柄をあきらめる。私って所詮こんなもんだ。これで良いじゃない、こんな私で良いじゃない、よく頑張ってるよ、私。人に対してもそう。こういう受け答えを期待していたけど、それは自分の勝手な期待だった。子供に対してもそうですね、この子はこの子なんだ。自分の思い通りに動くなんて無理だ。自分自身じゃないのだから。
 次に、なるほどなあと思ったのは、「親友を慰めるように、自分に優しくしてあげる」ということだ。
 真面目に生きている人は、何かあると、つい自分に厳しくなる。ある面でそれは当たり前で、社会のルールや秩序を保つ上でも大切なことなのだが、自分の精神状態に対してはどうだろう。くじけそうになる自分をこれでもかと痛めつけたり、自分が悪いのだと責め立てて追い込んだり、もっと頑張れと無理矢理励ました結果、後でしわ寄せが来ていないだろうか?周りに当り散らしたり、猛烈に不機嫌になって周りを傷つけたり。自分自身は鬱々と落ち込んで何もできなくなったり、体に原因不明の痛みや病気が出てきたり。
 そうなりそうになった時、こういうことで落ち込んでいる、こんなことで残念だ、寂しい、悲しいという気持ちを言葉で、感情表現してみる。聞いてくれる人がいれば良いが、そうでなければ書くのが一番良いだろう。そしてそういう感情になる自分を、叱咤激励するのではなく、客観的に読んでみて、これを書いた人が自分の親友なら何と言うかなあと考えてみる。意外と甘い言葉が出てくるでしょう?自分の親友に、そんなに厳しいこと言いますか?親友じゃなければ、一方的にでも大好きな人だと想像してみて下さい。
 「良いんだよ、大丈夫だよ、そのままのあなたで好きなんだよ、だから親友なんだよ。」
 この言葉を自分に置き換えてみてください。
 「良いんだよ、大丈夫だよ、そのままの自分でいて良いんだよ。だから私なんだよ。」
 とかね。結局、誰かに自分のそのままを受け止めてほしいとわかるはずだ。
 どんな言葉を自分が求めているのか、それを自分の奥から引き出して下さい。それは芯からの癒しにつながるはずだ。