親と子の関係は単純であってはならないし、普通はそうならない。風通し良く、何でも話し合える家庭であることは重要だ。会話は度々あり、それが議論になったり喧嘩になったり、話し合い妥協したり摩擦を起こしたりする必要はある。
 しかし、子供にとって、大人と対等に会話をすることも幼い頃からあって当然良いのだが、早すぎる情報はいけないことらしい。正しい知識でもって、適したタイミングというのがある。親は自分がそれまでの人生の時間をかかって知っていることを、早くから子供に教える必要はないということだ。
 当たり前のことだが、「のんびり子育て」についても書いたように、早く早くと先回りして教える親が多いので、気をつけていただきたい。家庭は、風通しの良い会話をこころがけつつ、子供とは一線を引いていなければならないのだ。
 子供の前ですぐ泣くようなモロイ親だと、子供は親を悲しませないよう気を使って家庭の中にいなければならない。自分が親をこわしてしまってはいけない。―と、やはり親を守らなければいけない立場になっていく。親は子供のために泣くことがあってもいいし、何か書物や映画などを見聞きして強く心を動かされたり、本気で向かっていかなければならない時に泣くことがある、というのは仕方がない。しかし、自分が可哀相とか自分可愛さに、子供の前で泣いてはいけないのだ。ま、時には仕方がないにしても、日常であってはならない。特に子供に物心がついてくると。それより前は、まだマシだ。
 子供には胎児からの記憶があると言う。乳児の記憶もしばらく続くし、漠然とした心のシミとなって残る場合もあるから、まったく影響がないとは言えないが、それは早い段階で修正がきくものだ。物心ついてから、親がいつまでも泣いていたりすると、子供は、抑圧しなくて良い感情まで、親の前でひた隠すことを覚えていき、その不安や悲しみは恐れとなり、怒りと結びつき、恨みとなって残っていってしまう。
 だから、親は子供を安心させるべく、例えば体が弱かったら精神的にタフな役割を演じなければならないということなのだろう。甘えて良い環境を何とかして作ってやらないといけないということなのだろう。