さて。今まで書いたようなことが、厄介に思っている自分の体のことだ。健康でない時は、心まで弱気になる。自分には色々なことをするのは無理だ。あれもこれもできない。
 子供が風邪ひいたり体調崩した時もそうだ。子供の風邪につきあい、自分もうつると、ウチの中で閉じこもることになる。外に出るとしても、せいぜい病院。その上で子供にベタベタされると、もう休むことすらできないのかと絶望感を味わう。あまりに大変だと、夫が見かねて仕事に少し融通利かせてくれることもあるが、それも申し訳ない。あーもう何もできないんだ!ウチの中で閉じこもっているだけだ、と何日も鬱々としてしまう。
 でも、健康な時は、何でもできるような気持ちになる。
 そんな「健康な時」を少しでも多く味わえるよう、夫も私も努力し始めた。何年も前から始めていて、出産や育児、引越しなど様々なことで阻まれるのだが、また復活したり、形を変えて何かを始めたり、とにかく健康に対して、少しずつ以前より前向きに考えるようになっているのは確かだ。少しずつだが、ここに至るまでの道のりを書いていきたい。

 夫が、水泳を始めるようになったのは、医者の言葉がきっかけの一つだ。
 体調は悪いし、あまりに背中のコリが激しく固くなっているので、指圧の先生に水泳がしたらと勧められた。ウーン……今ひとつ気乗りがしない、と思っていたら、近所の女医さんにも水泳を勧められた。内科的な体質なども考えての発言だった。
 実は水泳が好きな私。幼い頃は、スクールに通いつつ、さほど上手でもなかったものの、クロールならある程度は泳げるようになっていたので、今更ながら、自分がまた水泳を復活するきっかけができることが嬉しかった。なので、夫が水泳を始めることには大賛成!
 後に市内、区ごとに幾つもあるプールを訪ねて、あちこちで泳ぐことになる。札幌は、どの区のプールも施設がしっかりしていて素晴らしい。春夏秋冬問わず、いつも誰か彼かが泳いでいる。リハビリを兼ねたような人もたくさんいる。
 最初は、泳いだこともない小学生が、見よう見真似で泳いでいるかのような夫のクロールに「前途多難だ……。」と心の中でつぶやいた。もちろん25メートル届かない。
 そして、「ざー」とか「わー」とか「グーン」とかでしか泳ぎ方を表現できない私に、夫も悪戦苦闘。「ざーってどうよ。」「わーって何よ。」「グーンてどうするのよ。」と説明を求められ、言葉ってスゴイ難しい……と思い知ったと同時に、これを言葉にする楽しさも知った。ますます文を書くことに対して意識的になったきっかけかもしれない。
 足しげく、二人でプールに通い、夫は面白いように上達していった。ところが、夫は体が硬い。鋼鉄の男!と自分で胸を張っているほどだ。ある程度までいくと、あとはただただ距離を泳いで慣れていくしかない。プロでもコーチでもない、選手になったこともない私も、教えるのにすぐ限界がくる。
 でも、水泳は本当に体に良いんです。わかりますよね。全身運動で、体の「中」の筋肉を使うし、体がやわらかくないと速く進まない。しかも体重の負担がどこにもかからない。
 水の中で歩くだけでも良い。水の中で動くことは、本当にお勧めです。