子供にとって母親は一番の存在だと書いたことがあるが、実際に色々な例を本で読み、周りの話も聞いて、しみじみ感じた。
 精神的に、母親との依存関係から離れられない子供も、その離れられない苦しみを訴えつつ「でも私の母親はこんな優しかった」「こんな良い部分もあるんだから」と言うことから、それはよくわかる。でも、自分の母親が好きだという感情を果たして真っ直ぐに他人に話せるだろうか。プラス自分自身のことも好きでいられるだろうか。そして母親の意見を参考にすることがあっても左右されずに済んでいるだろうか。そういったことの違いは大きい。
 幼い子供たちもそうだ。自分のことはさておき、まず母親のことを好きであるという気持ちが起こりやすい。わがまま言って泣いていたとしても、それは母親に対して怒っているのではなく、母親を困らせている自分に苛立っていることが多いそうだ。それだけ子供は母親が好きで、子供にとっての母親の存在が大きいということだ。
 本を読んでいて「怖いなあ」と感じたのは、虐待する親に対してもそういう風な感情を抱いていられるということだ。虐待される子供たち。それは力によるものだけではなく、言葉によるものでもある。「生まれてこなければ良かった」「いなきゃ良かったのに」そんな言葉を投げつけられる子供も、しばしばいるらしい。
 そんな親たちに育てられても、子供は母親のことが一番好き、というケースが多いのだ。では子供たちは、そんな母親に、何故自分が虐待されると思っているのだろう。
 ……それは、どんな理不尽なことを言われても、子供は母親が一番好きなため、「自分が悪いからだ」と思うそうだ。
 虐待を受けるようなことをした自分が悪いのだと、そういう風に自分を納得させるそうだ。父親に虐待され、それを助けようとしない母親に対しても同じような感情を抱くらしい。自分が悪い子だからお父さんに叱られるし、そのためにお母さんにも助けてもらえない、と。
 しかし、その気持ちは、自己否定や不安や恐怖をもたらし、幼い頃はかろうじてそういう風に思っていたとしても、思春期以降、神経症心身症、うつなどの病気を発症することもあるし、人と関わることが極端に苦手になることもあるという。また、そういった恐怖心から他人だけでなく、自分の心や体を何らかの方法で傷つける場合もある。
 何度も書くが、どんな状況においても、母親は子供にとって理屈ではない何よりもの一番の存在なのだ。それを言葉や態度で表現できる親子関係は健全だろう。そうでない親子は、母子カプセルにはまる可能性がある。親も気をつけなければならないのと共に、何よりも自信を持って、子供に毅然と、そして愛情深く接していてほしいものだ。私もね。ハイ。