『なぜ「少年」は犯罪に走ったのか』(碓井真文著 KKベストセラーズ)を読んだ。
 この手の心理分析には、作者の偏った考えが表れるという。こういう方面の研究をしている人だから、こういう結論にする傾向がある、こういう考えの論文が多い、など。
 彼の本の中にもそういった偏りはあるのかもしれない。しかし、その中に、ほとんどの心理学者やカウンセラーが触れていることも書かれてあり、大いに参考になった。
 彼は、最近の10代の人が起こす犯罪の、心の研究をしている人でもあり、その幼少期から家族や環境などの身辺を知り、研究している人でもある。また、様々な人のカウンセリングもしており、実感として訴えたいことも多いだろう。
 今までの私のエッセーでも重ねて書いたことだが、一つは「悲しみを感じなさい」ということだ。悲しみを悲しみとしてしっかり実感、認識し、しみじみ味わったら本当の意味で立ち直れると、多くの人を見てそう思えたそうだ。このことはまた別の機会に書こう。
 そして、もう一つは何か子供が、親にとって理解不能なことをした時、それが、万引きや非行であっても、子供が何を訴えたいのか考えなければならないということ。単にその行為だけに捉われて、いけないことだの、世間体だのと言って片付けず、子供の心に気づき、本気になって向き合わなければならない。そして、次の取り返しのつかない大きな犯罪になる前に、その規模の犯罪で食い止められるよう、全力を注がなければいけない。心理学的な分析ではなく、感情的に、本気になって向き合わなければならないということだ。
 この前の、会津若松市の事件についても書いたが、私たちは結果論でしかあれこれ言えない。しかし何にしても、「家庭環境」だの「学校での出来事」だの「精神的な障害」だの、その中の一つの事柄を取り上げて、それ「だけ」が問題であるとは言えないのだ。しかしどれか一つでも必死に取り組んでいたら、ここまでのことにはならなかったのかもしれない。あくまでも「かもしれない」のだが。しかし彼が、心の問題を抱えていたことは事実である。そのSOSに、どれだけの人が本気になって必死になって取り組んだだろう。
 やりにくい子もやりやすい子も、親は必死にならなければいけない。
 そして、この本に、ほんの少し書かれていた重大な事実に、引っかからずにはいられない。脳の問題であった。心の問題ではなく、脳の問題だったのだ。しかし、作者も書いているように、脳の問題があるからと言って、そのすべての人が犯罪をおかすわけではない。これは心の問題と同じく。環境や周りの接し方で、改善されることも多い。脳の欠陥が発見されず、無事に穏やかに一生を終える人もいる。心の病がある人も同じ。最近の風潮から、犯罪を起こした人が「こういう障害があった」ということでとりあえず世間を落ち着かせているのが目につく。又、その障害が途端に危険視されている。これでは新たなイジメや犯罪に繋がる可能性がある。
 心理学者やカウンセラーは、大きな犯罪が起きた時、その被害者、被害者の周辺の人たち、そして加害者の心にまで入っていかなければならない。研究し、それによる偏見をなくす。一人でも多くの人に、そのカラクリを知ってもらうことで、次の犯罪の一つでも防げるかもしれないのだ。