甘えることと、甘やかすことの違いについて、尋ねてくる友達が多いので、それについて少し書いていこう。
 まずは、こうしたからこんな子になる、という図式は成り立たないことをよくわかっておかなければならない。甘やかしたからこうなった、と安直に言えない。甘やかさなかったのにこうなった、ということもあるだろう。こういう子になったのは、こういう原因がある、という風になら考えられるが。同じように接しても、子供の反応は一人一人違うし、自分の子には効果があったことでも、他人の子にはどうかはわからない。私たちの親の世代からも、さらに世の中の変動が加速している。子供を育てた事実と経験だけでは、「こんな風にしなさい」「こんな風にするとこんな子になります」とは言えなくなってきている。
 じゃあどうすれば良いのか。甘やかさず、甘えさせるというのはどういうことなのか。
 親である私たちができるのは、子供が困った時に助け舟を出すこと。それまでは先回りする必要はない。「よく気がつく」というのが、日本女性の美徳とされているが、子供はそれを求めているのか。すべての男性は、本当に「よく気がつく」女性を求めているのか。そういうことを求め過ぎる男性はそれこそアダルトチルドレンではなかろうか。気が利くのは人として素敵な魅力だ。鈍感な人は、やはり魅力が半減だ。しかし、当人ができる範囲のことまで手を出して、それに対してお互いに当たり前だという気持ちでいると、依存関係が出来上がってしまう。親子だって同じだ。しかし、助け舟を出す必要はある。
 では何かコツがあるのだろうか。まず日頃からきちんと、対話していないと助け舟は出せない。そして、助け舟の出し方は、心のメカニズムによるものが大きい。「心のメカニズム」についても、後に書いていきたいが、一言で片付ければ、ある環境条件を与えられた人間が、良いようにも悪いようにも陥りやすい精神状態、かしらん。
 「甘やかす」一番の分かりやすい行動は、物質を与えることだろう。選択肢を与える環境にいれば、そうしてやれば良いが、なんでもかんでもというのは甘やかしになってしまう。又、子供の服装や持ち物で、必要以上の贅沢をする必要はない。行動面で言えば、先回りして世話を焼くことだろうか。子供の冒険を妨げすぎたり、行動を制限し過ぎたり。
 一方、「甘えさせる」こととは、精神的なものである。寂しい、怖い、辛い、苦しい、悲しい、などの不安定な気持ちから出てくる行動。言葉。そしてもちろん嬉しい、楽しい、喋りたい、などの肯定的で発散したい気持ち。そういった言葉や行動を、しっかり受け止めること。難しいのは否定的な感情も「そうなんだね」と納得してやること。すぐに「でも」と大人の考えを言わない。一呼吸置いて、子供が落ち着いている時に言ってやれば良い。否定的な感情とは泣くことだったり、かんしゃくだったり、絡むことだったり、嫉妬のこともあれば、下の子を苛めたくなる気持ちもあるかもしれない。そういったことを許せる範囲内で、心も体も抱きとめられること。
 読んでわかるだろうか。甘やかすのは簡単なのだ。そして甘えさせるのは、とても大変なことだ。そしてそれが子供と接するということなのだ。私も日々それが難しく、できなくて自己嫌悪。よく葛藤している。