『家族依存症』(新潮文庫 斉藤学)という本を読み、興味深い内容だったので、印象に残ったところをまとめたい。
 特に「母子カプセル」の下りは、考えさせられるものがあった。
 作者は、母と子の、双方による依存関係があることを、母子カプセルと呼ぶ。
 例えば、乳児にとっては、母子カプセルの状態が当然であるし、そういう状態をしっかり味わわないと、そこから子供が自立することはないという。これは今までにも書いたように、ほとんどのカウンセラー、多くの専門家が訴えている。健全な親は、子供が自立することを寂しがりつつも喜び、見送ることができるのだが、依存的な母親は、子供を手放せない。子供を自分の人形のように思ってしまう。
 でも、ここまでだと、一方的で「カプセル」として呼べない。何故子供までそのカプセルの中に入り込んでしまうのか。
 理由の中の一つに、父親が原因である場合がある。母親が一番安らぐ時というのは、彼女の夫に支えられていると感じる時。母親が落ち着いていて、気持ちに余裕があって、子供は初めて安心できる。安心できるということは、つまり、子供にとって、感情を表出して良いと思えることだ。感情を表出して良いと思えたら、泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり、伸び伸びとできる。親に喜ばれる感情も、あまり喜ばれない感情も比較的表現しやすい。そして、自分の父親と母親が仲良くやっていると、自分はここにいなくても大丈夫なのだという気持ちが無意識に働き、自立を促される。
 それが親子本来の、自然な形なのだそうだ。
 つまりこの本は、「子供が安心できることの重要性」についても強く訴えているわけだ。
 母親が病弱で、何度も入退院を繰り返すような場合も、子供にとって、母親は守らなければいけない人になってしまう。母親には元気で、機嫌良くいてもらわなければならない。そうでなければ、子供は母親を安心できる対象として見られなくなるのだ。せめて、精神的に強く、子供を守ってやる、愚痴を極力少なくするという工夫が必要なようだ。次に、温かい母親でなければ、子供は安心できない。そして、できることなら、夫に支えられて安心できていること。それによって、母親は幸せな顔をしていられる。もし夫がいないなら、お母さんは、これで幸せなのよ、と子供に話し、表情や態度でそれをきちんと証明しなければならないということだ。
 つまり、母親が幸せでないと、子供は母親から離れられなくなるのだ。或いは、極端な例になると、暴言、暴力、自虐という行動や考え方によって、人や自分を傷つけていなければ、不安でこの世を生きていけなくなるらしい。それは、安心できないことによる緊張感が、子供には怒りと結び付けられてしまうからだ。一時的な怒りでも、連続して起こり、積もっていくと、形を変えて持続的な恨みとなっていくそうだ。
 私の周りでは、この例が少なくない。極端な例はあまりないが、子供が何故か自分の幸せに貪欲になれない人が多い。また、母親から言葉の暴力を度々受けていた子は、自分の子供に力で言って聞かせようとする。そして途方もない自己嫌悪に陥ってしまうのだ。