ところで、専門家に音楽について語らせると、すごい専門用語と時間をかけられる。難しいですよね。専門家だから当たり前か。ブログとか掲示板でもすごいらしいですねぇ。私はど素人なので、単純に楽しむ。
 奥田民生の歌詞を聞いていると、彼の世界がわーと広がる。聴き手に媚びた物ではなく、彼の言葉の世界、心の世界。恋愛物は少なく、女性に向けたものが書かれているとしたら、結婚した相手や目にするセクシーな女性に向けた歌詞が多い。と解釈している。僕の恋愛沙汰がどうのといったものはない。解釈も人それぞれで感じられるよう、幅があるように思う。直接的じゃないのだ。言葉は直接的だけど。女性ファンの中には、ロマンチックな物を感じる人もいるらしいが、私はそういう部分は求めていないし、それより彼の男らしい力強い歌詞が好きだ。力の抜けた歌詞も、やっぱり男の人でなければ出てこない歌詞だったりして、男にしかわからない世界だよな〜というのを感じて嬉しくなる。気取っていたり、あまりに女々しかったりするのもいやだけど、見た目や雰囲気など、あからさまに「男クサイ!」というのが苦手でねぇ。ダンナもそうなんだけどね。ナハハ。一見そうは見えないけど、その実ちゃんと男らしい芯の強さや考えがあって、それでいて頑固ではない。優れた客観性がある。そして「それをちゃんと言葉にできる」という人が私の好みなんです。あらっ言っちゃった。アハ。単に「私の好み」の話になっちゃったわね。
 そう、何度も書いているが、もっと感覚的に単純に音楽を楽しんだら良いんじゃないかと思うわけです。心の歌は心で聴きましょうよ。って。
 だけど、やっぱり母が音楽する人間ですから。少しはピアノかじりましたから。下手なのは聴いていられない。幾ら売れている人でも、うおぉやめてくれ……と身もだえする。軽い曲や流行の曲は、メロディーを楽しんだり、エンターテイメントを楽しんだりするのには良い。その時の気分に偶然合っているメロディだったり歌詞だったりすると、こんなのも時には良いなとか思ったり。ただ、見え透いた歌詞とか、感動させようと頑張りすぎたメロディーとか唄い方とか、私は少し苦手なのダ。「クサイ」と思っちゃって、しらけてしまう。
 難しい言葉を使ったり、分析したりはしません。できません。感覚で、こんなことを書いている。「こんな風に感じた」「こんな風に受け止めた」「こんなところが好き」。って、でも音楽を聴くってそれで良いんじゃないの?だって専門家じゃないんだも〜ん。