心理学の本を読み、それによって得たもの、感じたことを書いていっているが、ここでどうしても一言書いておきたいことがある。
 本を読んで「なるほどね!」と思っても、私が実践していることは、半分位だ。実践できたとしても、すぐに忘れちゃって、我が子の態度を見て悩む。
 「こうした方が良いんだって」「ああするべきらしい」と人には言えるし、本を読めば目からウロコのことでも、自分がそうできているわけではない。その辺を勘違いされるととても恥ずかしいのだ。「ちゃんと育てているのねぇ。」と思われているとしたら、私の息子を見ていただきたい。……なーんだ、普通だ。……いや、むしろ大変そうだ。って思うだろう。私だって怒鳴り散らすことも度々だし、いつも良い対応ができるわけではない。自分でどうしても心がけていることはあるけど、それも必ずしも心理学本通りではない。
 アメリカで子供の頃、テレビを見ながら「家族ってこういう風に接するんだなあ。」と思ったことを実践していることも多い。それは意識的でもあるし、でも、アメリカ流に、などと思っているわけではない。以前、病院で「セサミ・ストリート」のビデオを観る機会があったのだが、それを観ていると、「何この説明くさい子供への接し方。まるで自分を見ているようだわ。」と恥ずかしくなってしまった。
 きっと幼い頃の記憶が染み付いているのだろう。そしてこれは、やめられないのだ。
 よく説明して、言って聞かせる。その態度は感情的ではなく、でも毅然としていること。そういった譲れないことをわかってもらえなくても、親のやり方を優先させる。これで良いのかと不安になることは多々ある。本読んだって、結局自己流になってしまうからだ。
 しかし、皆にどうしても伝えたいことがある。
 それは、自分の子供の個性に自信を持ってほしいということだ。子供は色々な状況に置かれながら、何とか頑張って生きていく。その力を信用してみて下さい。そのために、決して先回りしてあれこれ言ってやったり、教えてやったり、手を出してやったりせず、子供の自主性を、じっくり待ってあげて下さい。その中に光る個性があり、それを認めてやれば、その子供は毅然とできる。毅然としていれば、自分で考え、自分で歩いていくことができる。自信を持たせること。それには安心する場所、時間があること。その場所が家庭であってほしい。
 それが生きる上での、その子の力となっていく。
 そんなことを頭に入れておけば、ある程度は自己流になるのも仕方がない。心理学の本を読んでいて良いと思うのは、自分のやり方が周りに批判されるのではないかと、自信をなくしそうになった時、これで良いのだそうだと、その根拠まで話せることだ。あと、イライラが積もって、子供とケンカする日が増えてきた時、自分の考えややり方を反省させられるし、読んだだけでリラックスしたり、対応の仕方を改めたりすることができること。
 理想通りの子育てなんてしていないしできない。でも少なくともどんな接し方が良くないかということは知っている。知っているのに、自分の気持ちや接し方をコントロールできないことも辛いが、知らないことに甘んじているのも自分が親としては許せないのだ。