さて、音楽に関しては、しばらく、どっぷり奥田民生のことを書かせてね〜。
 アルバム一枚くらいで、平気で「あーあの人の曲ね、好きよ、好き好き。」なんて、マニアなファンが聞いたら、本気で怒りそうなことを平気で言うものだから、奥田民生は「相当」好きなんです。
 彼のメインはボーカルですよね。彼の歌は、歌詞も、メロディも、独特のギリギリの和音も、声も、歌から伝わる彼の世界も、全部良いな〜と思う。歌はもちろん、彼のギターもとっても良い。楽しそうだし、心から好きそうで、自分の歌が映えるようにと、よく考えてあるようだし。弾く姿も歌う姿も、単純に好き。じっと見ていると、ポワンとしちゃうので見過ぎないようにしている。いや、ダンナに悪いからね。アハハ。
 それでも、夢中になりがちな若い頃と違うのは、あまり奥田民生という人物に熱中しすぎていないことでしょうか。まあ当たり前なんだけど……。若い頃って、ファンができたら夢中になっちゃいますよねえ。そんなエネルギーがあって当たり前だし、そういう時期があるべきなのかも。
 例えば、中学生や高校生の頃の私は、阪神タイガースの大ファンでした。彼らの背番号、誕生日、身長、体重をノートに写し、もしかしたら、二軍やコーチなどほとんど全員の分を暗記していたかもしれない。ああ、そのエネルギーを勉強に持っていけたら……!!当時はそんなことが自分にとって「ファンの証」だったのねぇ。
 だから、中学生や高校生で奥田民生のファンとなれば、タイトルも歌詞も全部覚えていて、彼のことが書いてある本や雑誌は欠かさずチェック、その上で「きっとこんな人なんだろうなあ。」と妄想を膨らませ、楽しむことだろう。そして、実際コンサートなど公の場でまたその妄想と重ねて楽しんだり、反対に自分の妄想と違う印象だと幻滅したりしちゃうのだ。
 だって、彼のプライベートな部分て、生活という意味だけじゃなく、気持ちでも時間的にでも、わかるはずがないよね。
 自分が結婚しているからかな。そんなの家族にしか、本人の気持ちに限りなく近づくことがない。彼がどんな人物で、どんなことを考えて、発現の真意がどんなもので、どんな風に生きているかなんて、推測したところで、結局は妄想にしか過ぎない。
 その時その時の演奏やお喋り、対応を見て、あーそういう風な反応をする人なのね、と、それを受け入れるだけです。