息子の体質は、夫にそっくりだ。夫と私のいずれに似ても、幼い頃の体質は弱いので気の毒なのだが、夫に似て救いなのは、大人になるにつれ、丈夫になるだろうということだ。どちらにしても今は、心も体もまだまだ不安定な時期だ。
 幼稚園の年少、一学期のこと。幼稚園で、お遊戯の発表会があった。
 我が家の息子は、発表会の一週間程前からずっと休んでいた。きっとその一週間で皆はもっと練習を重ねて、上手になっているのだろうと思い、先生に聞いてみた。
 「もし風邪が治って当日行けたとしても、練習していないから、参加しない方が良いですか。」
 しかし先生はこう言った。
 「いいえ。大丈夫ですよ。ミツ(息子の名前)君も今まで何回もやってきてることですから。ちゃんとできますよ。どうぞ参加して下さいね。」
 そして当日の朝、熱が下がり、発表会に参加できてしまった。
 壇上に皆と上がった息子は、半ば放心状態。近くで踊る先生の身振り手振りを真似している。歌っているのか口を時々パクパクしながら、操り人形のように両手を挙げたり、その場でグルグル回ったりしていた。そして歌の合間、遠くにいる私を見つけると、手首に巻いてもらった緑のピラピラキラキラした物を見せて、また口をパクパク自慢そうに一生懸命説明している。そうかそうか、何かわからないけど、それが嬉しいんだね、自慢なんだね、そうか良かったね。撮っているビデオに、思わず吹き出した私の声が入った。
 そして一通りお遊戯の発表会が終わった。終わって間もなく、息子はまた熱を出してウチに帰された。トホ。
 親になると、とかく目に見えた結果だけを評価して、子供にプレッシャーをかけたくなる。注意したり叱ったりイライラしたりしながら。だけど、外の世界は‘結果’を求める。幾ら努力したって、結果がなければ認められない。つまり、その過程や中身を知り得るのは身近にいる親や親しい友人くらいなのだ。
 結果より、よく頑張ってるんだよね、頑張ったね、と声をかけてやれる機会を、親である私たちは逃さないようにしたい。
 息子にとって、生まれて初めての「発表会」。特にウチで練習もしなかったのに、完璧でなくても何とな〜くでもできたことに拍手を送ってやりたい。そして彼の自慢が、踊りの振りや歌ができることでなく、腕につけてもらった緑のピラピラだったことに対しても。
 この先、どうしても周りと比べてしまいたくなる場面は山ほど出てくるだろう。大きくなるにつれ習い事を始めたり、成績で順位をつけられたり。その時にどれだけその子の絶対的評価ができるだろうか。首がすわった、寝返りした、ハイハイした、立った、歩いた、走った、喋った、オムツが取れた……今まで友人たちにふっかけられてきたささいな競争を「それがどーした」と相手にしなかった私が、この先どれだけ冷静でいられるだろう。
 子供には社会で揉まれて、心が強くたくましくなっていってほしい。だけど、家庭は彼らにとって、どうぞ安らぎの場所でありますように。