母は、音楽科を出ているのでヴァイオリンを教える先生だった。オーケストラにも参加することがあったし、私が物心ついた時から生徒たちがウチに習いに来ていた。
 私は、ヴァイオリンの音色がとても悲しげに聞こえて、ヴァイオリンの音を聞いては泣いているような子供だった。深い音色が胸に響きすぎるんですなあ……。
 だから、母は私にピアノを習わせた。3歳の時。
 3歳児の佳澄ちゃんは、ヴァイオリンでは涙が出てしまうものの、楽器は大好きだったので、お母さんが弾けるピアノを自分も弾けることが嬉しくてたまらなかった。自分で押す鍵盤が、様々な音を出し、メロディーを作ることが楽しかった。うまく弾けないと、悔しくて泣きながら鍵盤をたたきつけるように弾いていた。母の特訓はさほど厳しくなかったはずだが、何度でも「まだ」「もう一回」と繰り返されると、いつもの母が厳しく怖い人になってしまった気がした。
 これが他人に教えてもらうとなると、もっと怖いのではないだろうかと思い、母が幾ら「他の先生に教えてもらった方が良いと思うのよねぇ。」と促しても、私は納得しなかった。これ以上厳しいのはイヤだと思っていたのだ。こんな泣き顔を人に見られるのはいやだと思っていたし。
 このために、私はあまり楽譜がきちんと読めない。さすがに音は読めても、楽譜を見て、この小節のリズムはどうだとか何長調とか言われると「?」なのだ。よくわからない時には、母に弾いてもらい、耳で覚えてリズムを真似していく。
 アメリカから帰国してもピアノは続けたが、四年生で塾に入り、五年生で受験勉強を始める頃にはやめてしまっていた。中学生の頃に一時復活したが、指が短く、一オクターブ届くのもやっとのことで、指を頑張って開けることもあきらめてしまった。
 大学生の頃には、オクターブが届かないことを考えの中に入れつつ、できる範囲内で曲を選び、5年ぶりくらいに弾くことにしてみたが、これも当時ショックなことがあったと共にやめてしまった。
 それから10年以上ピアノを触らず。
 それでも楽器を触るのが好きな私は、結婚何年か経ってからも何となくピアノを忘れられず、夫に了承を得て購入。半年程経って少し熱中し始めた頃に、妊娠。つわりで弾けず。今に至る。
 もったいないので、子供が手を離れ始めたら、また再開しようと思っている。
 でも本当は、フルートもやってみたいんだよなあ。