「うちの火星人」(平岡禎之著 光文社)を読んで感じたこと。
 こういったことに共通するのは「気を付ければなおる」とか「頑張れば何とか変えられる」という精神論ではない、ということだ。そして、当人たちはそのことに対して困惑していて、生活に少々支障をきたしているということだ。
 だからこういったことを子供が起こして大人が注意する時、頭ごなしに言ったり、「気を付けるように」言っても何も変えられない。どうにかしてやりたいと思ったら、「何かその人に合った方法を一緒に考える」ということである。
 私が一番困るのは、買ったばかりの物でも失くすことなので、レストランなりどこかに座ったりした後、必ず一度振り返るように心がけている。それでもいつの間にか落としたり失くしたりしているので、これは最低限の守れるルールだ。
 椅子に黙ってじっと座っているのが辛いのは、なるべくそういう場所に自分の身を置かないことと、恥ずかしいと感じながらも自分の手や指を指圧することで気持ちを紛らわせるようにしている。
 他のことに関しては、内心困惑や葛藤はあるけど、家の中でのことや車の中でのことなので、あ〜あまたやっちゃってるよ私って思う程度である。
 息子に関しては、「できていない」ということを前面に出し過ぎたので、できるだけ事務的にこなすこと、自分の失敗をたくさん話すこと、他の部分で褒めることを心掛けるようにしている。「できていないこと」は、何かしら方法を考えて話し合って、対策を取るようにしている。
 この本で、作者自身のことを客観的に見て、一体どの程度どうなのかということは気にはなる。でも本人はおそらく生きづらさを抱えていないということと、最初は周りのそういった言動を理解できなかったということで、おそらくグレーだとしても薄い方なのだろう。でも、周りの人や専門機関であれこれ言われて勉強し、それまでの子供たちへの対処を振り返った時、三日泣いて子供たちに謝ったことは胸を打った。そしてその後は割り切って、理性で感情をできるだけコントロールしていることや、対策、方法を編み出していること。苦労しながらも家族の在り方を模索している姿が垣間見られる。
 こうやって書くことで周りの理解を得て、読者たちの共感と理解を得ることができれば素晴らしいと思う。
 何よりも私は自分自身のグレーな部分がやっぱりそうなのかと気づかされたことが面白く感じた。そして、自分の中でどの程度そこを割り切れるか、それでも楽しく平凡に暮らせていたら、それはグレーでもちっとも構わないことだし、不自由に感じていなければそれで良いと改めて感じた。