「うちの火星人」(平岡禎之著 光文社)を読んで。続きです。
 自分自身にグレーゾーンがあることをはっきり認識した本となった。
 例えば、何故こんなに物を落とすのか。何度も何度も拾わなくてはいけないこと。でも私は整理整頓がとても好きだったので、それに紛れて物を落とすことを「拾うのが面倒くさい」という程度にしか感じていなかった。
 例えば、何故気がついたら人の話を聞いていないのか。それも、時々聞いていないのではなく、「ほぼ」聞いていない。授業で集中して座っていることが苦痛なのか。時々「わー!!」って言って立ち上がりたくなるのは何故なのか。女の子なのに椅子をギコギコ落ち着かなく揺らしたり、鉛筆を回したり。大人になっても眠気を飛ばすためとは言え、手のひらや腕などどこか指圧していないとじっと座っていられなくて、多分傍から見たらずっと動いていて落ち着かないと思う。
 車の中でも運転中は危ないから我慢できるけど、赤信号で止まったら、かなりの割合で私は何かしら動いている。カバンの中の物を取ってみたり、ダッシュボードの中の物を取ってみたり、CDを出し入れしたり、飲み物を飲んだり。これまた傍から見たらすごく落ち着かないと思う。人がいるとお喋りできるのでそれはほとんどなくなる。
 ゲーム「ピクミン3」がやたらに好きなのも、すごくせわしなくて落ち着かないゲームだからだと薄々気がついている。
 とにかくじっとしているのが苦手である。でも子供の頃に教室で歩き回るほどではなかったので気にしていなかった。
 例えば、何故物をすぐに失くすのか。特に帽子を買い直したことは数知れず。傘なんて失くして当たり前。何度も取りに行ったり、すぐ気がつけば引き返したりしている。ただのうっかりさんと言えばそれまでで、そういう人も多いだろうが、どんなに戒めてもなおらない。大事な物も失くしてしまう。だからしょっちゅう探し物をしている。日常生活で探し物をすることがこんなに多いのかと気がついたのは、結婚する頃からである。それまでは、物を失くしても、せいぜい学校や職場と自分の部屋を往復していたから、テリトリーが少ない。あそこで失くしたのかなとか見当がついたし、見つからないとあきらめがついた。でも今は自分の家が存在するので、しょっちゅう探している自分に気づく。携帯電話なんてすぐわからなくなって、自分の電話を鳴らしてみることが何度もある。一応置き場所を決めているものの、やらかしてしまう。だから、息子が探し物をしていても、早くしないと困るような時以外は、あまりイライラしない。あっまたやらかしたなと気の毒になって一緒に探す。息子は整理整頓も苦手なのであからさまに「できない部分」と見られてしまう。色々模索していて、何とか自分なりの方法を見つけ出してほしいと思っている。
 他には、物を失くすことにも通じているが、何かをやりかけている途中で目に入ったことに集中し始め、やりかけていることをすっかり忘れてしまうところがある。これがかなり多い。自分の中で笑い話にしているが、多分他の人よりかなりの頻度で起こるので内心「またか。何でこんなに度々あるのだろう」と困惑することがある。