ヴォーカルレッスンに通うようになって、自分の性格や考え方が「変わりそう」な気がしているのが、そうそう変わらない。そんな簡単なものではない。だけど、音楽に関連すること以外に発見がたくさんあることは面白い。
 音楽自体に関することは、今のところ、呼吸の仕方、口の開け方、喉の開け方、声の出し方、響かせ方、自分の出る音(これは最初よりほんの少し高く出るようになっている)、姿勢、イメージ、一つの鍵盤の音でも幅があること、ノリ方、声の色、声の伸ばし方。たった何か月かで、あらゆることを知り、できるようになってきていることと、まだまだできないこととがある。
 音楽以外の発見は、さらに色々あって面白い。それは「できていなかったこと」とつながることでもあるが、自分がいかに口先だけで歌っていたかということと、それが喋る時にも発揮されてしまっていたということ。喋る時はさすがにいちいち意識しないけれど、何故心掛けても何度も聞き返されるのかが納得できてしまった。声を出す時の姿勢によって、普段からいかに自分の体に芯がなかったかを感じた。これもいちいち普段から気をつけるわけではないけれど、少しは気にした方が良いと思った。立っている姿勢。胸を張ること。お尻に力を入れること。そうやって安定しつつ膝を柔らかく、肩の力を抜くこと。立ち姿勢が良くなるような気がしている。
 そういったことで、少し毅然とした姿勢、私の目指す中高年の女性像に近づくだろうかと期待する。傲慢なわけではなく、謙虚だけれどスッキリとした姿勢でいること。
 さらに自分の嫌な部分が気になった。
 前からツボだなあと気づいていたけれど、「私だってちゃんと考えてその行動を起こしているんだよ。すべてがボンヤリ何となく行動していると思わないでよ」という考え方についてだ。私が普段からボンヤリのんびりしているものだから、あらゆる行動を何となくしていると思われていることがある。ただ好き嫌いとか気まぐれとかで。だけど、あらゆることを考慮して、意味があって起こしている行動だって山のようにあるのだ。何となく雰囲気がおっとりのんびりボンヤリしているからと、私はなめられやすい。悔しい思いもするけど、まあ勝手に思われてたらいいやと、ほぼあきらめている。その代わり、知り合いが相手だと「わかっててやってるんだよ」てなことをいちいち弁解しアピールしてしまう。他の人には言えないだけに。それが、レッスンの時にも何度か出てしまう。「ここを一息で」と言われると「そう、つい区切ってしまっていますよね〜」てな感じ。一つの鍵盤の音でも幅がある、他の人には自分が聞こえている音と違うように聞こえている場合がある、という説明も「いやあ気が付きましたよ〜」と言いかけてハッとした。私がわかっているか、気づいているかどうかなんて問題ではない。それをちゃんと実行できるかである。ああなんてことだろう。私は自分の愚かさを感じてしまった。知り合いだって、私が意味があって行動していると分かった時「ああそうだったの」と言ったり思ったりしてくれることもあるが、「言い訳がましいなあ」と思っていることもあるのかもしれない。
 ちょっと気を付けようと思った自分の嫌なところであった。