『ワンダー』を読んで、理想的な教育と共に家庭のことも考えた。幼い頃から、こういう家庭をつくりたい、こういう教育が良いという理想があり、それがここに書かれてあった。私だって思い付きでそういう家庭や教育が良いと思ったわけでなく、幼い頃にテレビや身の回りで目にしたからそう思ったのである。そしてそれができているということは実はないけれど、それを理想に掲げることを忘れてはいない。目指そうと常に思い起こしているし、努力は続けている。うまくできていない自分に落ち込むことも多々あるけれど。
 彼にはお姉さんがいて、お姉さんからの目線、お姉さんの彼からの目線、お姉さんの友達からの目線、彼自身に友達もできたのでその友達たちからの目線、彼をとりまく彼を大事に思う人たちの気持ちが章ごとに書かれてある。皆が率直に自分の気持ちを語るので読んでいてとても気持ちが良い。中でも、お姉さんの彼の章は、私にとっては秀逸である。客観的でありながら本当に温かく心がこもっていた。特に最後の方。「彼を取り巻く人間が決してやさしくなかった。」といったような内容とその直後に「いや、彼の周りには彼を思いやっている人がこれだけいる。」と挙げていくところ。ここで私は、ボンヤリとそうは感じてわかってはいたけどハッとさせられるのだ。嫌な人たち、マイナスのことばかり強調されて、悲しいとばかり思っていなかったかと。そうだ、この主人公には、こんな風に思ってくれる人たちがこんなにもいる。そして周りの彼らもまた現実を目の当たりにして時に傷つき、そういう現実を知りつつも彼を守ろうとするのだ。彼の両親も素晴らしい。私はこんな親になりたかったなあとまぶしい思いである。
 親としても、こんな風に心を通わせ、真面目に、そして明るく温かい親子関係であることは理想である。色々なことを我慢させられているお姉さんも、自分の気持ちを親に訴える余地がある。「余地がある」ことが素晴らしいと思う。両親はそれに対して決して説教せずに受け止める。とにかくよく話し合い、お互いの気持ちを説明し考えや意見を尊重し、心配し、見守っている。彼の父親が「お前のその顔が大好きなんだよ」と、秘密と共に打ち明ける場面が、私は大好きである。そしてもちろん、母親の心配が時々少し度を超してしまうところも、非常に共感できる。
 最近、発達したSNSのおかげか、自分がいかに子供を厳しく叱ったかをわざわざネットにあげて見せる親がいる。でもその内容は、感情的でヒステリックだと言わざるを得ない。冷静に叱ったと主張しつつ「自分のプライドを保つために」叱っている。子供は自分のどういう点が悪かったとわかっているのだろうか。約束を破ったことで信頼を回復してもらおうとするなら、言葉で充分ではなかろうか。体や物で見せるのはとても簡単だ。恐怖心とストレスを与えるからだ。親から嫌われるという最大の恐怖心も。そしてそれは真に物事の本質を理解させたことではない。子供の人間性や気持ちを育てるのは大変なことだし、忍耐がものすごく必要なことである。待つことだらけで、「大人」だからできることなのだ。主人公の両親のように言葉と気持ちを尽くすのがベストだと私は思う。何が本当に大事かをわかってもらうために。そのように伝えようと努力する親の姿が子供にとっての素晴らしい鏡となるはずだ。この両親にそんなことも教えられる。