『ワンダー』(R.J.パラシオ著 中井はるの訳)という本を読んだ。
 顔が奇形で生まれたオーガストという少年が10歳になり、学校に通い始める話。通い始めた一年間のことが、本人の視点からだけでなく、彼を取り囲む周りの人たちの視点からも書かれてある。こんな甘い終わり方は現実的ではないという感想もあるようだが、こういう風に本を終えて一段落したって良いと思う。
 イジメの問題が書かれてあると紹介している文面も読み、また確かにそういうところが中心であるとも思うのだが、私の個人的な感想としては、教育の根本的なことが書かれてあると思った。又、家庭のある一つの姿についても。
 これを読んだ時に、素晴らしい先生方に囲まれていると思ったし、アメリカでもここまで多くの素晴らしい先生が揃っていることは稀ではないだろうか。ただ、こういったことが理想になっているということが大事なのだ。そして何とかできそうという気持ちにさせるところ。温かく、鷹揚で、本当に人間にとって大事なことを教えてくれる先生。心に響く言葉を持ち、主人公の少年に対してきちんと気持ちや内面を感じようとしてくれる先生。
 果たして日本人の多くがこれを読んで、どれほど本当に理解できるのだろう。
 「理想論」「現実的ではない」で済ませる人が多いのではないだろうか。実際にそうであることも悲しいのだけど、私は理想論で済ませたくないと思う。それによって親子で苦労している面はあるけれど、必ずこれが子供に素晴らしい影響となって表れると信じ、頑張っている。どうか、世の中で「こういうことができない」「ここが気に入らない」などと思っている人たちに、違った面から物事(自分)を見る素晴らしさを知ってほしい。そして、強くコンプレックスを持っている子たちの周りにいる人たちに、それが大した問題ではないことに気づいてほしい。その子の何かがイジメのかっこうの材料になったとしたら、教師はそれをきちんと注意して見ているべきだし、そうならないようなクラス作りをするよう頑張るべきである。もしも、学校教育の中で、そんなところに目を向けている時間などないようなら、子供を教育する側にとって本末転倒というものである。そういう時間をカバーする人たちを雇用したり、募るべきである。
 私はこれを読みながら自分が帰国子女であることを再確認した。幼い頃、こういう教師を理想とし、こういう家庭を作りたいと思っていた。実際の世界は違うのだけど、何度も書いたように、これを理想としたいとする気持ちが大事なのではないだろうか。果たしてこの辺りでこういった教師を目指している人がどの程度いるのだろうか。自分のプライドや立場を守る気持ちの方が強くて、子供は思い通りに動かさないといけないものだと思い込み、コントロールできるかどうかのみを考えている先生や親が、どれだけ多いだろう。そしてそれを良くないことと露ほども思っていない人。
 都市部の、子供たちの心を第一に考えた私立や、公立でもそういった先生方は割合が少しは多いだろう。でもこの田舎で、私にできることは何かないのかと考えるきっかけになった。