『この世界の片隅に』を観た。
 ツイッターで評判になっていて、どんなに前評判が良くてハードルが上がっても、それでも良かったという皆の書き込み。観てみたいなと思っていた。
 でも戦争中の話。内容がどうあれ、観る前はやはり迷いがあった。それまで観た戦争映画は激しく、目を覆いたくなる場面があり、そうでなくても激しく心を揺さぶられ、激しさや悲しみに満ち、壮絶な体験に辛さを感じ、涙なしでは観られない苦しいものばかり。
 でも今回はちょっと違った。観終わった「後」、泣きそうになったのは、初めてだったかもしれない。映画の最中に涙が出てしまうのは度々ある。でも映画が終わったら「ハー終わった。」とスッキリしつつ、感想を述べながら歩く。だけどこの映画は、観ている最中の涙はどの場面かほとんど覚えていない。何度か頬をぬぐったけれど、全体的にほのぼの優しくて、可笑しくて、胸が痛くて、悲しかった。ただ終わってからが言葉を発しようとすると涙があふれてくるので、どうしても一言目が出ない。珍しく夫もすぐに何も言わない。
 「出口あっちだっけ」とか何とか一言二言発しているうちに、ようやく夫が「圧倒されてまだ話せない」と言ったので、そうだそうだと思った。きっとそういう映画なのだ。
 まず主人公が「ボーっとしたタイプ」ということがとても救いのような気もしたし、親近感がわいた。「ボーっとしたまんまが良かった」と本人が泣き叫ぶところでも強く共感した。ボンヤリしたタイプでも、感性までボンヤリしているわけじゃないのだ。世間の人は割と勘違いしている。あまりにも辛いことが重なってそう思う場面は、それまで感情を押し殺して暮らしてきたこともあるのだろう。だけど、元来がやはりのんびりしていて、楽観的で、目の前のことをこなしていくことに精一杯。そして私が自分と違うなあと思うのは、それを気にしないところ。でもほんのちょっとは気にしているところ。彼女のとても素敵なところである。
 そんな彼女だから、戦時中に苦しくなってきても、毎日を工夫し明るく暮らしていた。それまでの日常が苦しくなってきても、やっぱり冗談の一つも言うし、やらなければならないことはこなすし、好きなことはする。空襲が段々激しくなっても。
 あまりにも辛いことがあった時に、私は涙を流したのだろうか。驚いたっけ。そんな……と、頭の中に思い浮かぶ言葉もなかった気もする。でもやっぱり悲しみに暮れている暇もなく、日々は過ぎていくし、戦争は激化していく。あまりにあっけなく人が亡くなっていくので、戦争が終わった時、「何のために、あの人は死ななければならなかったのか」と空虚な気持ちと胸にせりあがってくる悲しみがあった。実際に体験し、家族や友人を亡くした人たちってどんな風に感じていたのだろう。
 エンドロールと共に、原作では割と重要な人物となった「りんさん」の簡単な生涯も描かれていてそれも胸がいっぱいになった。
 終わってから何度もため息をついて、泣きたい苦しさを解き放った。戦争ってダメだ。どんなに激しく辛い映画より、そういう思いが強く湧いた気がする。人がたくさん死ぬことの無意味さを強烈に感じた。とにかくいつまでも後を引く映画である。