息子は、朝ちゃんと起きれるだろうか。食欲は戻るだろうか。朝のバスに間に合うように支度ができるだろうか。一週間休んだものだから、勉強は追いつくだろうか。なくしものは見つかるだろうか。帰宅後の宿題はしっかり済ませられるだろうか。たくさん散らかしてお父さんに怒られないだろうか。
 夫は、私のお見舞いや家事で疲れてしまわないだろうか。きちんとした食生活を送ってくれるだろうか。朝ご飯はちゃんと用意して息子を起こせるだろうか。息子と二人きりの生活を一週間続けることでイライラしないだろうか。
 二人とも、寂しくならないかな。
 あと、一週間の後半には母が来てくれる予定である。とても心強いのだが、母も慣れない土地で慣れない家だから戸惑うことが多くて辛くないかな。少し愛想がなくなった息子の様子に戸惑わないだろうか。疲れて体調を崩さないだろうか。長旅で疲れないだろうか。そもそも、祖母が元気でいてくれないと、母も来ることができないので、来ることができるのだろうか。
 色々と心配である。家のことはちゃんと回るのか。そこそこに清潔でいられるのか。私が帰宅したら、うんざりするくらい汚くないだろうか。
 ああ、きりがないほどに心配をして、私の入院生活は始まってしまった。
 入院生活に入ろうとした時に、ベッドが空いて整うのを待つために、別室の小部屋に詰めこまれたハプニングはあったが、その後指定されたベッドで、タオルや荷物のセッティングをしながら、私は出産に伴う一週間の入院生活を思い出していた。
 当時は初めての入院生活で、ちょっとした旅行気分もあった気がする。でも、夫と離れて一人きりという日々が私にとって寂しいのではと心配していた。何しろ、六年子供ができずにずっと二人。結婚も、夫と離れるのがいやで結婚したようなもので、日常生活では個人個人で行動し、同じ家の中で夫と別行動でも全然平気なのに、できるだけ一緒にいたい。離れたくない私はベッタリ人間なのだ!
 産む病院に関しては、自分がそういう場所で生まれたので、私も個人病院で生もうと思っていた。信頼できる病院を色々と調べた。妊娠前から妊娠中に見てくれていた先生も「腕の良い先生だよ〜。あの先生なら大丈夫」と言ってくれた。素敵な信念で、美しく産むのも良いし、理想だと思うのだが、私はその辺を「どっちでもいいよ」と臨機応変にいい加減にしてくれる人や場所が安心するのだ。自分が追いつめられたくなくて。大病院も、設備が整っていていざという時に安心だけど、そこの個人病院もいざという時に大病院につなげてくれるので心配はしていなかった。
 そして、どうしても書いておきたいのが、そこの食事がまあまあの評判だったのだ。
 それはなかなかの楽しみなのである。
 出産エピソードもなかなかのものなのだが、ここでは省いて、とにかく入院中のことを書いていく。