さて、そんな自分の情けない部分に気づいてから、何となく友達の一人に手紙を書いてみた。懲りない私。
 そういう思いと共に、その子と自分とを取り巻く人間関係について。
 正確に言えば、過去の人間関係について。多分、文集を読んだために、これは伝えておかなければと思ったのである。
 以前、といっても随分前になるが、ここに書いたことがある友人関係についてである。ずっと続いていたグループがあった。でも子供ができたのをきっかけに、私は離れた。それまで、かなり親密な関係を築いていたにも関わらずである。
 一人とは、無理して付き合っていた。幼かった私たちは、お互いの秘密めいたことを打ち明けることが楽しくて仕方なく(まったくもって大した内容ではないが、思春期の頃は自分のことを話すのがことさら恥ずかしく感じてあまり他の人たちにペラペラと言えなかった)、そういう秘密を共有することで、お互いを縛っていったように思う。それこそ、他の人がその子と仲良くすると、私は変に競争意識を持ったくらいである。でも、実際はその子と本当に気が合っていたわけでなく、意見や考え方はすごく違っていて、でも対立するのがいやで、私は合わせ続けてしまっていた。無理していたために、その考え方の違いに段々嫌悪感すらわいてきて、そして自分にとって守りたい「子供」という存在ができた時、とうとうその違いが耐えられなくなって、付き合いをやめてしまった。
 もう一人も、大して合わなかったけど、そのグループにいることで、時々親密に話し合った。その子にとっては、やはり「誰にとっても私は一番か二番」ということが大事らしく、私の存在もその対象となったのか、とても色々な話を親身になって聞いてくれた。
 でも、最初に書いた一人もその子も、お互いの悪口を言っていたし、私も両方に乗っかっていて、そういう自分のことも嫌いで仕方なかった。それぞれと会っても自分のことがいやになるばかりだった。
 さらにもう一人、私がどうしても付き合いを深めたい友達がいた。彼女はなかなか自分のことを話さなかったため、歯がゆくてもどかしくて、先にも書いたように「これで親しくなるはず」といった内容の手紙に自分の気持ちを「ぶちまけて」彼女を傷つけてしまった。彼女は相当なショックを受けた。でも、その仲を何とか再構築しようと頑張ってくれた。なのに、お互いの子育ての考えの違いで結局私が耐えられなくなった。勝手な私に彼女もウンザリしたことだろう。
 もっと繊細に色々あったのだが、ここに書くことは控えたい。ただ、私はこの三人の間をとにかく行ったり来たりしていた。ただ相手に合わせ、自分の気持ちを吐きだし、お互いを比べ、誰がどうしたこうした、誰の考えがどうのこうのという話をして自分を優位に立たせたくて仕方なかったのではないだろうかと思い返す。一体、私は何をストレスで抱えていたのだろう。そんな人間関係、つまらないものでしかない。私自身も人として未熟過ぎた。
 私はその三人との付き合いをパッタリやめた。