入院を前にして、結局夫や息子に、家のことをあまり色々と教えられていないので少し焦った。お盆休みの間に教えたいと思っていたのだが、その頃には夫も息子も、心配などしておらず、まだまだ先のことだという雰囲気になっていった。
 結局、ギリギリにあれこれと教えることになる。
 入院前の一週間は、少しずつ準備をしていかなくちゃと思っていたのだが、息子が高熱を出した。月曜の朝から久々の8度超え。病院に行ったのに火曜には9度超え。夫を出張に送り、息子の血液検査をして点滴に6時間ほど付き添う。クタクタになった。水曜には7度台に下がったのに、木曜にまた8度超え。病院に行き点滴。私も風邪気味に加え、もうクタクタな日々で、家事もままならないくらいであった。
 日曜から入院だというのに大丈夫だろうか。木曜の「麻酔についての診察、説明」も、息子の点滴のためにキャンセルし、土曜に回してもらった。
 何とか土曜に息子は元気を取り戻し始めたが、あまりに何も準備できず、土曜にバタバタ大変になってしまった。またクタクタのまま寝た。
 日曜も、朝からバタバタである。
 実感もないまま、家を出ようとしたが、息子と一週間の別れの挨拶をし、息子の顔を見ていたら涙が止まらなくなってしまった。私は自分で思っているより不安に感じているらしい。手術の恐怖や、夫の生活の心配、息子の学校生活への心配で、実感するどころではなかったけれど。
 それなのに病院に着いたら、ベッドがまだ空いていないので、個室に連れて行かれ、そこで待つことになった。その「個室」も、4畳ほどのスペースにパソコンなどが置いてあり、以前、診察室に使っていたのではという部屋である。ここで4時間ほど待つことになった私は、パソコンを開けて文章を書いたり、人にメールを書いたり、飲み物を買いに行ったりと呑気に過ごした。
 でも、その間に行われた診察や説明では、骨髄炎について聞かされて恐怖心が膨れ上がってしまった。まず、顔が相当腫れるらしいこと。治りにくいため、三か月の間、痛みやしびれなどの症状が度々出るであろうことや、化のう止めの薬を飲み続けなければいけないこと。二週間おきに、こちらの大病院の診察にも来なければいけないこと。
 もう何を聞いても憂うつである。
 とにかく、手術が無事に終わり、私の少ない白血球が頑張って回復するのを手伝ってくれるのを祈るばかりである。
 体のことも、夫と息子に対する心配も、まな板の上の鯉で、何もやりようがない。何もやりようがないのに、心配である。結婚するまではこんなじゃなかったのになあ。もう少し肝が据わっていたというか、何も考えないようにしていた。