さて、キャンプのリーダーをやっていて、キッチン担当だった時のこと。玉ねぎのみじん切りをまかされたのだが。
 当時の私は、祖父母と住む家で、6人分ほどの晩御飯を作ることが、週に一回ほどあった。だから料理をまったく作らないわけではなかった。しかも、母に教わっていた「タンパク質をメインに、淡色野菜の品、緑黄色野菜の品を必ず入れる」という栄養面にも当時から気を使っていた。私が作るものには、独創的な料理や、抜群に美味しい凝った料理などに縁がなかったが、割と「若い割に料理をそれなりにしている」方だったと思う。
 で、玉ねぎのみじん切り。当時の我が家では、荒く切った玉ねぎを、ある容器に入れて、上の取っ手をグルグル回す、というやり方だったのだ。そうすると目にもしみないし、かなり細かくみじん切りができる。そうやって色々なメニューを作っていた。
 だから、玉ねぎと包丁を渡されて「みじん切りして」と言われた時、当時の私は戸惑ってしまったのだ。
 戸惑っていると「お手伝い、してないな〜」。コラコラ、てな調子で言われた。
 これが若い私の「多少は料理してますよ」という小さなプライドをひどく傷つけ、腹が立ってしまった。
 何よりその、「こういう子には、こういう風に言う」という決まり文句な感じがものすごく気に障った。自分も若いくせに、当時からそういう「そつのない」「こなれた感じ」を醸し出す人が嫌いだった。こういう時にはこう言っておけば、なんとなくその場が取り仕切れるでしょ、私、慣れてるでしょ(会話に)という感じが、私は大嫌いなのだ。今でも嫌いだ。今でも嫌いだが、当時は確固たる信念がなく、私はこんなで良いのだろうかと不安だった。今なら言える。若いんだからそれで良いんだよと。そんなこなれた芝居は、年を重ねるにつれて、浅はかに見えますよ、見え透いているんですよ、だから若い時の私にもっと自信を持ってと言いたい。表面的な話というのは、年月を経ると、アホみたいに誰でもできるようになる。言い過ぎかな。でも、何となく表面的なやり取りでキャッキャと笑ったり楽しんだりは、自然にできるようになるのだ。そんな若い頃から達者じゃなくてよろしい。と私は思います。若い人でも人懐こい子は可愛いが、こ慣れた感じを会話の中で出されるとすぐに心を閉ざしたくなります。もちろん、こちらの方がだいぶ年取っているので流すけど、ああこの子残念と心の中で思っている。ちょっと年下くらいだとあからさまに態度や表情に出していると思う。そういうの嫌いだから媚びないで。って。
 で、その当時、私は腹を立てたものの、できない自分が惨めな気分がした。黙って言われた通りに玉ねぎを切り、もちろん今でもそのやり方は生かされている。だけど、あの頃「この人はそこそこ仕事のできる」と思っていたけど苦手だった人のことを、玉ねぎをみじん切りにする度に思い出すので嫌だなあと思ってしまう。やっぱり他の言い方ややり方があっただろう。彼女も他に言い方を知らなかったんだろうなあ。しょうがないと思いつつ、毎回このことを思い出すのがいやだ。これを書いたことによってさらに思い出は強化されそう。シマッタ!