もちろん、1日目2日目と学校を休んだので、翌日発表の日に登校すると、登校メンバーたちが「受験したんやろ?」と聞いてきた。まだ合格するかどうかもわからなかったので、気まずかった。黙ってうなずいたが、できれば誰にも知られたくなかった。とは言え、クラスの子たちは全員知っているわけで。「どこ受けたん?」とか聞いてきていた。もうとにかく皆、そうっとしておいて〜〜!ってな感じだった。仲良しの子が私をかばってくれていた気がする。
 受験番号は265番だった。
 父が「フム、合格だ、ていうのでどうお?フム、これは良いとか」とか語呂合わせで縁起をかついできた。「フム、合格ではない」「フム、これは悪い」というケースもあるじゃないかと内心笑いつつ、その語呂合わせが気に入った。
 1日目も2日目も、ウチの中では雲の中で暮らしているようなぼんやり感があった。多分あまり結果について考えたくなかったのだろうと思う。
 そして発表の日。母とその中高に向かった。合格発表は、番号が板に貼られる。口には出さなかったが、あまり自信はなかった。母は「大丈夫だと思うよ。」と言ってくれていて、未来を予測する占い師にすがるように、その言葉にすがっていた。
 私はあまり緊張しないタイプなので、試験当日二日ともさほど緊張はしなかった。面接の教室に入る直前にちょっと緊張したが、入ってしまえば緊張しなかった。きちんとしようとすることに集中していたのだと思う。合格発表当日も緊張はしていなかった。電車の中でも歩いていても緊張はしなかった。もっともウチでそうやって雲の中で暮らしている感覚になるくらい何も感じないようにしていたから、緊張もできなかったのだろう。
 しかし、学校の階段を上がるにつれ、「いやだな」という気持ちと共に緊張が強くなっていった。自分の番号がない板を見たくないと思ったのだ。
 最後のひとまとまりの階段を上がる前に少しためらった。「いやだなあ」と声に出して言ったと思う。「さあ」という母の促しがあったか。下を向きながらそのひとまとまりを上がった。上がりきって顔を上げると、広い板が思ったより遠くにあった。たくさんの親子とすれ違いながら、この子たちはどうだったんだろうとか思いながら板に近づいて行った。
 「あったっ!!」母か私、どちらが先に見つけたか忘れたが、「あったあった!!!」と言い合って確認して「やったーーー!!!」と二人でピョンピョンはねながら喜んだ。あまりキャーキャーとした声を出さない私が高い声でうひゃうひゃと喜んだ。自分がこんなに感情を露わにして喜ぶんだと知った。本当に嬉しかった。
 当時は携帯なんてなかったので、学校にある二台の公衆電話に並んだ。
 行列ができており、祖父母に連絡することにした。電話には今は亡き祖父が出た。「おめでとう。」「良かったねえ。」しみじみした声で喜んでくれた。祖母も喜んでくれた。
 息子が今回合格した時に、色々と忘れっぽくなっている祖母が「あらあ、そりゃ良かったねえ。」と言った声が、当時の喜び方と一緒で、今回嬉しかったことの一つだ。