試験は二日間あった。
 1日目は、4教科あったっけ。講堂に集められ、母と並んで座った。
 泣きながら遅れて入ってきた子がいた。従姉と顔つきが似ている子がいた。いずれの子も後に合格し、同級生となった。
 科目ごとに教室に行き、講堂に戻ってくると、笑顔の母がいて、「ああお母さんだ」と思う度に安心したのを覚えている。母は努めてなのか私も似ているところがあるから努めなくても、なのだと思うが、そういう時ニコニコ楽しげである。楽しくなくても自分の知っている人がいると笑顔になる。子供の側からすると親が心から嬉しそうに楽しそうにニコニコしているのはとても安心するものだ。嬉しくなってこちらもニコニコする。
 この印象を、息子の受験前、割とギリギリになって思い出してから、息子が試験の時、朝からずっと一緒にいてやろうとまでは思わなくても、お昼ご飯の時くらいは一緒にいてやって、面接が終わったら迎えようと思った。
 そして私の時、2日目は面接だけだったような。各教室に先導してくれる在校生で上級生のお姉さんたちを見て「この人たちは受かったのかあ。すごいなあ。良いなあ。」と思った覚えがある。彼女たちの髪の毛のくくり方が独特で、母と面白がった記憶もある。
 ああ、私も高校二年生か三年生の時に、先導したっけ。全然覚えていない。面接を行う教室前の廊下にいたんだっけ。ああ本当に覚えていない。ただ、一人の先生がトランシーバーを持って「ラジャー」とか言って、その世界に入り込んでいるのが可笑しくて、友達と「○○(その先生のあだ名)、‘ラジャー’とか言ってたよ」と声真似して笑ったのを覚えている。じゃあ多分その場にいたんだろう。
 面接の内容もすべてではないがよく覚えている。
 「尊敬する人物は」と聞かれ、私の前の二人が「父です」とか「母です」とか言って、「えっ。私、そんなの用意してない。」と戸惑ったのを覚えている。私は自分の思い、練習した「モーツアルトです」と言った。ピアノを習っていたし、母が音楽家なので、私としてはすごくベタな返答のつもりだった。私の次の子も親のことを言っていた。言葉のニュアンスも考えつつ違和感と戸惑い。さらにその次の子は「ナイチンゲールです」と言った。その子も後に同級生となる。やはり印象に残った。
 私の「モーツアルト発言」は、その前の二人の「親」という答えとは違って恥ずかしく思ってしまったが、面接官の一人がニコニコと顔を紅潮させて聞いてくれていたので、安心した。入学すると、その先生が音楽の先生だったことがわかる。しかも母の大学の先輩であった。これも後でわかった。
 あと「受験勉強していてつらかったことはありますか」と聞かれた。これは、練習していなかったので、鈍い回転の頭をグルグルと巡らせた。「机が窓を向いていて外がよく見えるので、外で遊んでいる子たちが見えると、私も遊びたいなあと思ったことがあります。」という内容のことを答えた。これを何故か祖父母に褒められたので、ずっと記憶に残る返答となった。