過去問題も買い、自分について色々と思索し答えることができる面接の練習が楽しくて仕方なく、母と勉強を終えてから時間があると「面接の練習がしたい」と言っては練習を重ねた。母はおかしな言葉遣い以外は何も言わずに楽しんで聞いてくれた。
 学習塾で、算数と国語を勉強し、特に苦手な算数は先生方が個別に指導して下さっていたし、家でも苦手な算数、あとは理科と社会を中心に母と勉強した。暗記物は苦手ではなかったが、同じところをいつまで経ってもやっぱり覚えなかった。今思えば、言葉の意味がよくわかってなかったと思う。あまり普段からそういう言葉を使っていなかったし、その漢字の意味も考えなかった。使い慣れない言葉は、音で覚えようとしたので、その音を覚えられないと、いつまで経っても頭に定着してくれなかった。もう少し普段から色々なことに関心を持ち、会話しておけば理解力もあっただろうし、自然と頭に入っていったのではないかと思う。そういう意味でも、普段から会話を多くすることは大事だなあと思う。
 理科も暗記が多かったので同じような問題が自分の中にあった。ただ、音で覚えて漢字をあてはめるという、そりゃ逆じゃないか?っていう覚え方をしていた社会と比べると、理科は生き物のことや自然のことなど、自分の暮らしに密着していて好奇心をかきたてられた。てこなどの計算になると、滑車が出てきて最初の頃はその法則で面白く、こんな滑車、実際にあり得るのかといった組み合わせでも、理屈で解いていけることが楽しかった。ところがあまりに多数の滑車やてこが組み合わさって複雑になってくると、今までの理屈が通らないことがあり、混乱した。物理が苦手になる予兆が見られる。
 算数に関してはさらに理解力に乏しく、母に怒られ半分怯えながら勉強していた(笑)。何故あそこまで理解力がなかったのかよくわからないのだが、当時は文章の意味がよくわからなかった。帰国子女ゆえか。しかし、これまた後の物理にも表れていて、何故言葉で書いていることが数字に表されるのかがわからなかった。こんなこと書いている時点で算数とか物理に向いていないことがよくわかる。何故それが「かける」のか「割る」のか。もうまったくもって理解できていないから、ちょっと文章が複雑になってくると、かけるか割るかしたら何とかなる?ってな感じで思考が投げやりになっているのが自分でよくわかった。どうしても脳が納得してくれなかった。情けないけど。
 国語だけは、不思議と得意だった。帰国子女だったけど。何故なのか自分でもいまだによくわからない。本が好きだったからかな。よくわからない。本が好きでも得手不得手は出るようだし。漢字も大好きで、誰よりも漢字を綺麗にしっかりと書けるようでありたいと思い、積極的に自分から勉強していた。「誰よりも綺麗に」ということは達成できないが、線が織りなす複雑な文字が完成すると、そのバランスを見て嬉しくなる。漢字は今でも好きである。漢検するほどじゃないっていうのが、私の中途半端さを物語ってもいる。国語の文章問題は色々な文章が読めることが単純に楽しかった。問題を解くにはコツがあったが、後にそんなコツなど吹き飛ばしてしまうような国語の先生と出会い、もうそのコツもよくわからなくなるのだが、少なくとも受験勉強の問題にコツはあった。
 毎晩遅くまで勉強し、母が付き添い二人で奮闘した。