当時、進学塾で身についてしまった「全国実力テストではない、塾のテストではカンニングして良い」変な習慣を、学習塾の算数のテストで発揮してしまった。全国実力テストなど塾外でするテスト、小学校でのテストではカンニングはしていなかったが、塾で成績順を付けられることに恐怖を感じてしまっていたのだろうか。塾でのテストでだけカンニングをする習慣がついていた。学習塾でその癖が出てしまった時、可愛がってくださっていた先生と目が合い、先生が注意もせず悲しそうな顔をした。私はその瞬間以降、カンニングをやめた。そういったことは可愛がってくれている先生を裏切る行為だったと今でも悔いている。その後の人生でもカンニングは一度もしたことがない。
 学習塾でそうやってトップで当たり前とされてはいたのだが、1年以上ぶりに戻ってみると、算数に関しては、私よりできる男の子が既にいた。進学塾じゃなくても。その子は、公立中学、高校と進むようだったが、きっと良い大学に入り、立派な社会人になったに違いないと思っている。彼は色が白く、大きな目がクリクリとよく動き、無邪気に積極的に発言する子で、先生やクラスの子たちに対して反応も素直で、良い成績を取ろうとガツガツもしていなかった。先生とも対抗意識を燃やしていなかったし、先生も彼との会話を楽しんでいた。私のいない1年半位の間に、私がいたポジションを取られたような寂しさすらあった。彼は、進学塾にはいなかった「勉強ができる子」のタイプだった。当時は特別な感情はなく、「算数はこの子には負ける」と思っていたくらいだったが、今思い返せば、とても感じの良い子であった。きっと両親とも余裕をもった考えで子育てに気を使っていたのだろう。とにかく受け答えや反応が素直で気持ちの良い子であった。私は国語をとても得意としていたので、その子より国語の成績が良くてもその子は「すげーなあ」と、ただ感心して見ていた。
 その頃は、その界隈で二番目の女子校を目指そうかなと思っていたが、私の性格から、伸び伸びとした校風の三番目の女子校の方が合っているのではと、可愛がってくれている先生に勧められた。おそらく学力のことも考慮してのことなのだろう。しかし、母はその女子校に強い好印象を持っており、私たちは喜んでその気遣いを受け入れた。
 確かにその女子校は、伸び伸びとしていた。宗教もなく、生徒たちが自分たちの学校に誇りを持っており、先生も生徒の意見を積極的に聞いてくれる。もちろん意見が通るかどうかは別なのだが。先生方はいつだって話し合う余地をくれた。歴史のある学校ではあったが、世の中が閉鎖的で殺伐としていた頃に「社会の流れとは関係なく、自由に発言できる、自由な思想を持てる学校を創ろう」という志のもとに創られた学校であったらしい。
 その頃、詳しくは知らなかったのだが、伸び伸びとしたお嬢様学校というのが、その辺りでの評判である。当時の私は単純に制服も気に入った。これは年頃の女の子にとって、とても大事な点でもあった。
 さっそくその学校を見学に行き、ワクワクした。