野球について、ほんの少し続きます。
 日本に帰国して、最初のうちは高校野球しか観ていなかったが、そのうち、住んでいる場所柄、テレビでよく放映される阪神タイガースのファンになった。当時から、巨人がよく勝つのでつまらなく感じてしまい、つい負けてしまうようなスマートじゃない阪神に愛着がわいた。ピッチャー小林とか、キャッチャー若菜とかの頃である。兄は、掛布のファンだったように記憶している。でも、放映はされても、やっぱりよく負けていた。
 そして、中学生の頃だったか、阪神は優勝した。
 まだ十数年しか生きていない当時の私は、負けてばかりいる印象だった阪神が優勝することが驚きだった。そうか、優勝することもあるのか。そんな失礼な思いを抱きつつ、選手一人一人に興味がいくようになった。
 ほどなく、私は木戸克彦のファンになった。珍しい女子である。
 周りは光ゲンジとか騒いでいた頃なのに、16歳くらいの私が、10歳も年上の、おっさんのような存在の選手に夢中になった。何が私をそんなに夢中にさせたのか、今となってはよくわからないのが正直なところだが、彼は平田勝男選手とともに、チームの盛り上げ役として大事な存在であった。加えて、キャッチャーというポジション。一番華やかなピッチャーというポジションを支えているのがキャッチャーである。
 『キャッチャーという人生』(赤坂英一著 講談社)という本を夫が買って、何年か前に読ませてもらったが、キャッチャーはやっぱり魅力的。カッコいいのである!中学から高校にかけて、そのポジションがたまらなく良くて、阪神ファンであったことも手伝って、木戸のファンになったのだろうか。でもそんな女子高生、私の学校には一人しかいなかったのではないだろうか。少なくとも「私もファンやね〜ん!」て人に出会ったことはない。もう一人、阪神ファンであり、キャッチャーのファンであった友達はいたが、もう少し、当時のイマドキ感のある人、いわゆるイケメンな若々しいキャッチャーの方が好きであった。顔全体が濃いめで、額が広く、当時からおじさんくさいタイプの木戸克彦は、女子高生たちのハートを間違いなく射止めていなかった。でも、私はファンだった。
 当時は、選手の住所が平気で選手名鑑に載っていたのでファンレターが書けたし、私は友達と色々な選手の家を巡り歩いた。とても迷惑なことである。こんなファンがいるから、選手名鑑には載せなくなったにちがいない。
 一度は、当時の監督である吉田義男の豪邸に行き(豪邸か知らないけど、とりあえず門の場所から、家がよく見えなかった)なんだかんだと声をかけて、阪神ファンの友達たちの寄せ書きなどを押し付けた。
 木戸選手の家にも友達についてきてもらって押しかけた。緊張で会話もできないのだが、もうふわんふわんである。背中に羽でも生えていたらちょっとは宙に浮いていたんじゃないだろうか。いやあ、会ってしまったわ〜、写真撮ったわ〜、サインもらったわ〜、なんか言ってはったわ〜!!って、数週間は幸福感に満たされ、ヒジョーに高ーーいテンションを保っていた。