そういえば私は野球が好きだったんだ。
 最近よく忘れ、よく思い出す。初老ですから。
 でも以前から好きだった。今もうっかりテレビのチャンネルが合い、良い場面だと観始めてしまう。観ているとやっぱり面白いと思う。
 息子が、wii sportsで野球のゲームをしたり、キャッチボールをするようになって、少しずつ野球のルールに興味を持ち始めたのがここ何年か。それまでは、すっかり少なくなった野球中継のせいか、土地柄もあるのだろうが、野球に興味はなかったようだ。
 私はといえば、野球観戦好きの父親の影響か、幼少期、アメリカ在住の頃に、兄につられて、テレビで大リーグを観戦するようになった。私は訳がわからず一緒にテレビを観ることになるのだが、話題に加われないとかつまらないとか思いそうなところを、兄が必死にフォローした。「どの選手が好き?」「ホラ、あの選手出てるよ!」とか言って、一生懸命気をひいた。父や兄の口から、色々な選手の名前が出てくるのだが、私にはよく区別がつかなかった。そこで覚えたのが、やたらにお尻を突き出して、独特な構えをする黒人選手だった。父も兄も、ニューヨークヤンキースファンだったので、私も何となく。
 球場に観に行ったこともある。麦わら帽子を下の階に落としてしまったとか、母が運んできたコーラがやたらこぼれたとか、そんなことしか覚えていない。観客の皆と、ブー!!とブーイングしたり、イエーイ!!と掛け声かけたり楽しんだ。でも、よくわからなかった。ただ、なんとなく皆と一緒にいた、というくらい。ルールは少しずつ覚えていった。
 帰国後は、高校野球に夢中になった。テレビ側もドラマを語り出すので、小学2年生になる私は、それにハマって感動した。確か箕島高校が優勝した頃だったかな。
 高校野球に関しては、兄がとても好きで、当時高校生だった工藤公康の「落ちる球」に盛り上がり、いかに素晴らしい投手であるかを必死に母や私にアピールしていた。
 その後、私たちは池田高校の畠山投手や水野投手を応援した。PL学園がやたらに強い時期であった。桑田や清原がいた頃だ。
 母に連れられて外出する時も、車の中でラジオを聞いて池田高校の応援をした。
 そのうち兄は、高校野球を観たいがために、大学生の夏休みに甲子園球場でアルバイトをした。カチワリやビールを売っていたようだ。中で誰に会ったとか、色々話してくれた。
 父と高校野球を観に行ったことも度々ある。大嫌いな「早起き」を頑張り、早朝の電車に乗って。一番盛り上がると言われている準々決勝に行った時、着いたらもう外野にも入れないくらいの人込みで、押し合いへし合いで危険に思った私はキレてしまい、大声で「そんな押さなくたって良いやんか!」と怒鳴ってしまったことがある。物心ついた時から、怒りを人に向けたことがほとんどない私が。怒鳴っちゃった。その日は結局、球場に入れず、しょんぼり帰ってきた。
 又、松井秀喜が連続敬遠された試合も内野3塁側で観ていた。異様な球場の空気であった。あれを目の前で観たことは、野球ファンとして自慢することの一つである。