引っ越しと言っても、色々ある。
 今まで、何度か引っ越しをしてきた。
 記憶があいまいな3歳になりたてのアメリカ行き。半年ぶり位に父親を見た瞬間はなんとなく覚えている。あれがパパだっけ、ってちょっとだけ自信なかった。
 そこからは、2階建ての2階部分を借りて、住んだ。1階部分は大家さんが住んでいて、玄関は別々だったが、私はそこの大家さんに、随分お世話になった。
 次に7歳になる頃に帰国した時は、引っ越しの認識は強くあった。段ボールに自分の荷物をボンボンと入れたこと。居間にあった段ボールの山。今まで借りて住んでいた所に、見学に来た人がいたこと。学校での皆からのメッセージや、仲の良い友達たちとの「またすぐ会えるんだろう」と思い込んでの淡泊な別れ。着いた先は、母親の実家。玄関があり、瓦があり、和室があり、縁側があり、和風な建物に、なんてエキゾチック!と、驚いた。
 その次は、3年生に上がる前に、マンションに引っ越し。当日、母が風邪だったかでダウンし、新居となるマンションに、父と兄と三人で寂しくお弁当を食べて、荷物の到着を待ったこと。マンションは、それまで住んでいた家々と違い、スケールが少々小さくて、母があちこち体をぶつけ、大きな打ち身を作って笑っていた。
 さらにその次は、中学一年生の途中。兄は高校生だったが、県立で、遠くからも同じ学校に通えたし、私は私立だったので、兄妹にとって、学校に関しては、遠くなる以外、問題なかった。初めて自分の本などを荷造りしたこと。引っ越し当日は、従妹の一家が手伝いに来てくれて、私は大ハシャギだった。
 その次は、25歳前後。細かなことを言えば、親友のアパートに、ルームシェアしてもらった。ベイスメントと言って、一軒家の地下を、貸してくれて、そこで住む。一人で住むには充分なスペースだったが、二人で暮らすにはほんの少し小さかったのに、友達は、歓迎してくれた。荷物は最小限。
 で、結婚して、夫の住んでいる所へ。夫は、一軒家の1階部分を、友達とルームシェアしていて、新居を見つけるまでの約1か月、そこで滞在した。
 新居が見つかったら、夫の友人たちが手伝って、あらゆる荷物を運んでくれた。
 家具など少し買って、いつまでそこにいるかわからない状態で、やはり最小限の物を買うにとどまった。
 で、翌年、27歳の頃ですね。札幌に勤務が決まった夫と共に、帰国。夫は生まれ育った故郷だが、私には初めて。アメリカの郵便局から、少しずつ荷物を送り、見知らぬ人にドアを開けてもらったり、荷物運びを手伝ってもらったり、郵便局の人に「日本に帰るのかい?」と聞かれたり。最後は、アメリカ横断をしながら帰ってきた。札幌では、慣れない気候に、最初の二年、体調を崩しっぱなしであった。
 最初のアパートの二年の契約が終わると、市内で、日当たりの良い、湿度の高くないアパートに引っ越し、快適に暮らした。