ハンカチ、ティッシュに関してもそうである。
 昔はそんなことの点検なんて、そうそうなかった。
 でも今はうるさい。結局、親が準備する。で、当時は、ティッシュを持って行かない子も多かったので、すすっていた。さらにさかのぼると、鼻タレの子がどこの集団にもいたと言う。今は、ちゃんと鼻をかむ。それだけで私は充分だと思うのだが、今度は、そういったティッシュを片づけられないような我が息子を攻撃する。 
 昔は、すすっていたのに。さらにその前は、たらしっぱなしの子すらいたのに。
 汚い汚いと、結局親がうるさいから子供たちもうるさい。除菌だの、殺菌だの、自分の子供に対してならまだそこの家庭の方針、で済む問題を、わざわざ人の持ち物にまで口を出してくる。
 きちんとしていないと気が済まないのは、自分だけのことにしてくれないか。子供はもっと無頓着であるし、それを年月かけて少しずつ大人になるにつれ、しつけていくものではないか。子供の幼い頃から、うるさいから、周りの他人に対して「自分は、我慢してこれだけやってきたのに、あの子はできていない」と、不寛容なのではないだろうか。
 先生方も、そういった親に限って、とても強く出てくるからか、神経質になってしまっているような気がする。
 他には、運動会の違い。これは地域性もあるだろうから、何とも強い調子では言えませんが、良くなったなと感じていることと、違和感のあること、両方がある。
 良くなったのは、入場行進とか、競技の入場や退場に、やたらに力を入れた風でなくなったこと。私たちが小学生の頃、行進で、きっちり右足だとかある程度の高さだとか揃うまでグルグル回らされるのは本当に辟易した。競技の入場や退場の時も、1,2,3,4,5、で、足踏みが揃って丁度終わらないと、何度でも繰り返しさせられた。きっちりと、入場、退場、しなければならなかった。あれは本当にどうでも良い練習だったと思う。今の子たちはそこまでしない。息子の学校などは、入場はそこそこ揃って出てくるけど、退場は、わーっと各自自分の席に戻るので、バラバラです。
 で、息子の学校には「組体操」がない。これが寂しい。あれは厳しいながらも、すごく楽しいものなのだ。揃えることの美しさだけでなく、各ポーズに対する達成感がいちいちある。私が、2人組で肩車をする相手は、私とほとんど同じ背であり、また同じくらいの体重そして筋力、だったようだった。どちらが下になっても、必死になって渾身の力をこめてウーン!!!と気張っても、なかなか上がらず、練習の時はどちらが下になっても上がらないこと多々。どちらが下になるか、本番まで先生も迷っていた。はてさて本番当日、私が下になった。本当に1回か2回、私の方が持ち上げる力が強かったのか、彼女の方がわずかに軽かったのか成功していた回数がほんのちょびっと上回っていたためだ。その瞬間、私は「これで最後なのだから」と、今までの渾身の力以上の力で、ブルブルしながら「うぬー!!」と声でもあげそうなほど精一杯の力で彼女を何とか持ち上げた。「火事場の馬鹿力」ってああいうことだよな。