私が1年生の秋に帰国して、窮屈だなと思った日本の教育でも、今思い返せば、面白いことはたくさんあった。
 図工の時間に、絵の具の水入れが汚れたので、変えようと立ち上がった男の子がいた。すると、近くにいた男の子が「俺のも変えてきて」と、水入れを差し出した。「自分で入れ〜やー(入れろよ、の関西弁)」と言いつつも、その子はお願いされて、二つの水入れを持って行った。
 まずそれがおおらかである。今の時代なら、すぐ先生が「そんなこと、自分でやりなさい。頼むものではありません。」と、頼んだ子をたしなめるだろう。今そんな子がいれば、イジメなどの関係性ではないかとされ、頼まれた子は、「自分で入れ〜やー(入れろよ)」なんて言えず、まず断るだろう。でも、その子は、とりあえず、自分のと二つ持って行った。
 そして、入れてきた水は、あふれんばかりにいっぱいであった。
 それを見て頼んだ子は、「多すぎやろ!」とツッコミを入れた。持ってきた子と二人で大笑いしているのを見て、周りにいた私たちも笑った。「もっと少なくしてきてや。」とまた頼む。その子は決して自分ではしないんですね。でも、頼まれた子もまんざらじゃない顔して、水道に戻って行きました。
 そして、今度は、数ミリなのか、入っているか入っていないかわからないほどの量の水を入れてきた。二人、爆笑。それを見て周りも笑う。「なんでやねん!これじゃ少なすぎるやん!もっと多く!」と言いつつ、何となく、当人たちも周りの私たちも、次、頼まれた子がどうするか、想像がつく。が、さすがにそんな無駄で面倒くさいことはしないだろうと思っていると。
 やっぱり、頼まれた子は、またギリギリいっぱいの水を入れてきた。
 二人、爆笑。それを見ている周りもまた笑う。
 バカみたい、そんなことしてる暇あったら、頼んだ子が自分で入れてくれば良いし、頼まれた子も、やめときゃ良いのに、そうやってバカみたいに、3回もボケとツッコミをやっている。
 先生はどうしてたっけな。「○○君、自分で、水入れてきなさい」と言ってたかな。でもそうだとしても、ようやくそこで注意される程度だ。水がそりゃ無駄だけど、そういった子供たちの気持ちがおおらかだと今となっては思う。
 他に、よく見た光景が、水入れの水を入れたまま、腕をグルングルン回して、遠心力で、水が落ちない、ということをやって見せる子が多かった。おおすごいと感心しつつ、時々失敗する子もいる。バシャーっとこぼす子もいれば、少しこぼす子。でも、先生は注意しつつ、周りの子がこぼした当人と一緒に、「雑巾、雑巾」と言いながら拭いていた。
 こんなことくらいで、先生方は激怒しなかった。事前に注意もしなかった。ただ、何かが起きた、注意した、皆で対応した。この手順が当たり前に行われ、何事もそういった感じであった。だから、今の時代みたいに、最初からああはダメ、こうしてはいけない、こうしないと、といったことはなく、おおらかだったように記憶している。