中学生から、私は、私立の学校に通った。いわゆるお嬢様学校で、校風は伸び伸びしていて、塾の先生にも「あそこが合うんちゃうか?」と勧められた。もっとも、塾の先生には、「私の成績」も頭にあるから、そこのレベルに合うような学校を、と勧められたのかもしれないが、中学受験の女子校の中でも、割と良いレベルなんですよ。ということは過去の自分のためにもフォローしておきましょう。でも、通学は、「お嬢様」とは程遠い過酷さでした(笑)。
 そこは、当時私が住んでいた所から、1時間ちょっとくらいかな、まあそのくらいの通学でした。その辺りから通学している子は割といました。駅までは遠かったので、バスに乗って最寄りの駅まで行き、電車の乗り換えは1回。バスは、いつもとても混んでいて、乗り口の段にギリギリ乗って、ドアに張りつくこともあったし、まったく一歩も乗れないため、通り過ぎられることもあった。そのくらいギュウギュウだった。
 駅に着けば、知っている友達が何人かいることもあって、一緒に電車に乗り、学校の最寄りの駅まで行くこともあったが、あえて誰かと待ち合わせて行くことはなかった。バスの最初の方に乗った子と、後の方から乗った私とでは電車が一本違うこともあったし、待ち合わせるには人が多すぎたし、それでも待ち合わせをしてまで一緒に登校したいほどの友達はいなかったのだ。
 学校の最寄りの駅に着くと、大勢の友達はいたが、さて、そこからさらに30分ほどかけて歩く時に、気の合う友達が良いのかとなると、また話は別で、朝からそんなにテンションの高い人はいないし、私など血圧が低いのでまだまだボンヤリしていて、一緒に歩いて何となくお喋りできる相手なら誰でも良い、という感じだった。でも一人で歩いていくには、距離的にも周りの楽しげな会話からも寂しすぎるので、誰かといればそれで良かった。 
 30分ほどかけて、ダラダラ歩く坂道は、かなり厳しかった。昔から「地獄坂」と名前がついているほどの坂をのぼらなければ、学校には着かない。そこの坂を避けて色々な行き方はあったが、学校が坂の上にあるので、結局「地獄坂」に匹敵する坂を、どうしても登らなければ着かないのだ。もう少し平坦だけどずっと坂、とか、最後がやたらに急になっていて、会話するのも辛いほどヒーヒー言いながら登らなければいけない坂とか。
 そして、中学一年の二学期。私たち家族は引っ越しをした。市内だが、それまで通っていた所より、もっと遠くなった。1時間半近くかけて、毎日通うことになる。
 これを、何でもないように言われることが、私には心外だ(笑)。
 都会では、「通勤に1時間半」て、それほど驚かれる数字ではないだろう。通学でも、もっと時間がかかっている人たちはいた。でも、大変じゃなかった、受け入れていた、と思われると「そんなことはないぞー!」と強く否定したい。
 冬などは、朝、暗いうちに星空を見上げながら最寄りの駅まで出なくてはいけなかったこと。そのため、懐中電灯を持って学校に行っていたこと。母がその暗い危険な道を、広い通りに出るまで、よくついてきてくれたこと。電車の中から日の出を見たこと。そういったことはよく人に話してきた。