「子供の感情を受け流す」というのは、度々書くが、甘やかすという意味ではない。
 私も、甘やかしていないか、これは甘やかしではないかと揺れることはあるし、実際そういう場面はあるのかもしれないが、私の、子供と接する上での信念は幾つもあって、守れることも守れないことも含めてその色々を、大事に思っている。人から「それは甘やかしでは」と指摘されるほど、良くない接し方はしていないと思う。私は子供相手でも誠実に接したいという信念がある。一人の人間として、尊重したい。自分が子供の頃の気持ちを鮮明に覚えていることもある。自分が子供時代に、それなりの考えを持ち、行動をしていたことを思い返すと、「個人」として、その気持ちを聞く価値はあると思える。
 なので、自分の子供がどう思ってその言葉を発しているのか知りたいし、その考えに対して、聞く価値があるということを言葉や態度で示したいと思っている。同じ次元に下がってはいけない場合もあり、その辺りは難しい。でも、私にとって、人を許せるというのは、子供を許せる、ということにとても強くつながっている。大人に対して許せることが、子供に対して許せない、ということや、大人に対してわだかまりがあることが、子供に向いてしまうことがある。いつだって子供は大人の前では弱く、特に親子関係でそういったことが、知らず知らず利用されてしまうことがある。
 子供を許せないと、自分がイライラするばかりか、子供もやはりそういう人間になっていく可能性が高くなる。私は、自分の子供が、そういう人間にはなってほしくない。何でもかんでも許せと言っているのではない。私が言いたいのは、家族に対して、或いは親しい間柄で、自分の感情に嘘をついて我慢していると、それは弱い者に向いていくよ、と自分の体験として、頭の中や、本からの知識だけでなく、心からわかってきているのだ。
 ただ、わかってきているだけで、まだ行動が伴わない。感情がついていかない。
 真面目な話になっちゃったけど、ここで私の「子供の頃を振り返るカテゴリーがほしい」ということが思いついたのだ。
 
 帰国子女のカテゴリーにも、子供のことを書いているカテゴリーにも、私の過去はよく書いている。そこはなるべく省きたいが、重複してしまうこともあるかもしれません。そこは根気よくお付き合いください。それだけ私の中で大きなことなのだと思っているし、新しい部分は、最近思い出したこともある。ずっと意識や思い出の中にあっても、文章にするほど鮮明でなかあったこともある。
 そういったことをあらゆる角度から自分を見ながら書いていきたい。それは、なるべく、事実だけではなく、自分の気持ちを思い起こした内容を重点的に書いていきたい。時々重苦しくなるかもしれないけど、でも、客観的な視線は忘れずに冷静に書いていきたい。楽しく笑えることも書きたい。ひどく胸が打ち震えるような、辛い気持ちとか思い出を書くつもりはありません。人それぞれ胸の内にあることでしょう。それは、また別の機会で、読んでもらうことがあればと思います。