こんな毎日でも、お笑いDVDを持ち歩き、観る先々で大笑いしました。子供はニュースを知りたがる分は、ある程度見せていますが、お笑いでも、親子でフザけるにしても、一日一度はお腹を抱えて大笑いしています。
 阪神大震災の時は、久しぶりに笑った瞬間のぎこちない顔の筋肉の動きを覚えているくらい、笑っていない月日が長かったです。今回は、住む場所もライフラインもある、不安だけが強くなっている中、お笑いは貴重です。
 今もこれからも、できることをできる範囲内でも良いから、少しずつやれば良いと思います。慌てなくとも、もっと時間が経っても、できることがあると思います。大事なのは忘れずにいることです。復興のためにも、安全な地域にいる人は、節電も節水も必要ですが、行事など何もかもを控え過ぎない方が良いのではと思っています。私の考えですが。
 原発のことは、時に苛立ち、まだまだ監視、注視を続けていかなければいけないですね。ただ、今の段階で、私の住んでいる地域は安全で当たり前の日常を送れると、確信しています。既に書きましたが、だからこそ戻ってこれたのです。
 先にも書いた、糸井重里さんのつくっているウエブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』で、一人の看護師さんのブログを読んでみては、と紹介してありました。その看護師さんの、普通の感覚がとても良いんです。被災地に行く時の諸注意を聞いて、気が重くなる感じとか、被災地の人がいるから泣いてはダメと言われているのに泣いてしまったこととか。彼女の素直な人柄と一生懸命さ、そして悲惨さが伝わってきて、胸が熱くなりました。
 そこに、一人の可愛い女の子が出てきます。被災地で知り合った女の子に慕われ、話していくうちに、その女の子が、家も母親も、今回の震災で失ったことを知ります。最初の方では、その看護師さんと女の子のやり取りが可愛いので、夫に「可愛い女の子が出てきたよ。」と言って、読み上げ始めました。
 でも、その悲しい現実に話が至った時には、泣きながら読む羽目に。
 その看護師さんと別れる時に、女の子は泣いてしまいます。看護師さんは、「まだ傷が癒えてないだろうに、また泣かせてしまった」と書いていました。でも、おそらくその看護師さんも気づいていると思われますが、その女の子、泣けて良かったと思います。ワンワン何回も泣いた方が良いです。本当は悲しくて仕方ない、毎日泣きたいんです。きっかけがあれば、泣けるんだから、いっぱい泣いたら良い。悲しんだら良い。笑いたくなったら笑ったら良い。女の子はもしかしたら、その看護師さんの中に、自分のお母さんを見出していたかもしれません。いっぱい泣いたら良い。これからも辛いだろうから。
 その女の子のお母さんは、その女の子の物を抱きしめながら亡くなっていたそうですが、その女の子を大事に思っていたであろうことは想像に易く、加えて、やっぱり自分も怖かったんじゃないかなと思うんです。想像にすぎませんが、怖くて何かにしがみつきたくて、最愛の娘の物を抱きしめた。そして、彼女のことを思い続けたのではないかな。
 そんな母親として、また、一人の人間としての気持ちを思うと、涙が止まりませんでした。