安全だよ、と子供に伝えられないのに、周りを気にして戻ってくるとしたら、その子供の心は抑えつけられ、親を含めた周りを、信頼できる土台ができません。私にしたら、もっと個人として、一母親として、自分で考え、行動してほしい。その行動が、自分と違っても構わない。当人がじっくり考えたことなら。違って良いんです。最終的な判断は、個人ですること、家庭で決めることです。その判断に疑問があったとしても、自分とは違うなと思ったとしても、私は自信をある程度持っていないで、子供を引っ張っていけない。
 だからこそ、違う判断をする人を責めてはいけない。ここは安心だから、いつでも戻っておいでと、温かく明るく迎えたい。その時期が様々であって構わないと思います。
 夫が戻ってから、しばらくして私と息子も帰りました。息子は、夫が帰ってから、毎晩電話で「僕はお父さんのことが大好きだよ。」と、伝えていました。夫や私が言わせたりしたことではなく、息子が「僕、父さんと会えない間、毎日言うって決めたんだ。」と言って、電話した時には、忘れずに毎回伝えていました。おじいちゃんおばあちゃんに遊んでもらえたり、私の友人に遊んでもらったりすることは、とても楽しかったみたいだけだけど、やっぱり、日常に戻りたい、お父さんに会いたい、という気持ちは毎日持ち続けていたようで、毎晩、布団に入ると、「早く帰ってお父さんに会いたい」と話していました。
 だから、久しぶりに会えたら、嬉しくて全身で喜びを表すかなと思ったけど、そこは男の子なんでしょうか、ニヤリと照れ笑いしただけでした。でも、嬉しいのは間違いないみたいで、しばらくひっついて「お父さん、お父さん!」と連呼して喋っていました。
 住んでいる所に戻ってきてからは、発つ前よりも、ガソリンスタンドは開いていて車も行列が少なかったし、発つ前よりも、開いているレストランも増えていました。人々も「我慢」という顔ではなく、少し落ち着いた表情でした。まだ、原発は時間がかかりそうで、不安も大きいけれど、関西戻って心が元気になったので、またしばらく、丈夫な気持ちでいられそうな気がします。今度、不安になったら、また関西に戻れば良いと思いました。
 いつも、夫の実家も私の実家も遠いことを嘆いていました。でも今回、本当に実家が遠いありがたさ、そして、友達たちのありがたさを思い知りました。
 「関西にいるんだね、安心しました」と書いてくれた札幌に住んでいた時の友人、早めに戻った私の様子を知って、「私も早く帰りたくなってきた、会いたい」と言ってくれた友人、「心配もあるけど、アナタらしい意志を持って会津に戻るのだから納得しているよ」と書いてくれた関西の友人、本気で心配してくれた皆の一言一言、皆の温かい気持ちを、私はこれからもずっと覚えていると思います。
 私が、身体も心も元気を回復したのは、周りのお陰であると、実感しました。子供を支えようと思えるのも、そうです。一番身近にいる夫に始まり、どんな判断をしても受け入れてくれる両親、心配してくれていた兄、関西の友人たち、札幌の友人たち、他の地方に住む友人たち、皆のメールや励ましがあって、ようやく子供一人を支えられる、という頼りなさ。でも、弱気になっている時、人って、こんな程度だと思いました。子供に笑顔でいられるのも、皆に支えられているからだとしみじみありがたく思いました。