でも、「お互いの考えを尊重できる」友人は、残念ながら、親しい人の半分くらいでした。あとの半分は、自分の立場を主張したいがために、違う立場の人を責めるような気持ちが、言葉の端々から見え隠れして、気持ちを逆なでしてきました。
 そういう意味でも、避難した場所でも、皆が「バラバラ」という感じがとても、悲しい。
 不安な気持ちはあるし、今後のことは、誰にもわからないのだから、考え方は違っても、気持ちは、認め合い、支え合いたいと思うのです。
 残っている人が、避難した人たちを責めている風潮も伝わってきました。
 残っている人の中には、「避難する場所があるのに、しない人の気持ちがわからない。私たちにも物資が行き渡るためにも、いてもらったら迷惑なのに。」といったような、感情的な意見を書く人もいました。避難しない方がおかしい、避難するのは逃げている、自分たちを置いていった、皆我慢しているのに、何故そんな場所にまだいるの、色々な意見を聞きました。
 とても悲しくなりました。
 今回の原因は、天災です。地震であり、津波であり、私たちの住んでいる地域の人は、同じ揺れを感じ、もっとひどい被害に遭った人たちをニュースで見て、原発についての不安を感じている、同じ被災者です。特にこの地震の場合、それぞれの地域によって、被害状況は大きく分かれ、その地域の連帯感を強くしていかなければならないと思います。それなのに、何故被災者同士が責め合うのでしょう。
 それぞれが判断すること。それを保身のため、自分の不安のために、責め合うなんて、本当に下らないことです。
 いまだ、避難している人はいます。そうした人たちが安心して帰ってこれるような環境や雰囲気作りをしてあげるのが、残っている人たちのするべきことではないでしょうか。避難している人たちの中には、今も罪悪感や後ろめたさ、寂しさと闘っている人もいます。それでも、不安で戻ってこれないのです。
 中には、周りの意見に流され、世間体を考えて移動する人もいます。避難する場所があるのに避難しないと責められて避難し、結局、避難したことを今度は責められたから戻ってくる、といったような。それもまたおかしい気がする。自分の頭で考えられないのかと思います。ましてや小さな子供がいるのなら、一母親として、何故行動できないのかと思います。世間体や体裁の方が、子供の気持ち、親の子供への態度より大事でしょうか?避難しながら、色々葛藤している友達に、私の分けられる程度の知識は伝えますが、「それでも不安だと思うなら、子供のためにも良くないよ、自分が大丈夫という確信を持てるまで戻って来ない方がずっと良い。」と伝えています。母親の不安は確実に子供に伝わります。子供は、ただでさえ今回のことでストレスがあるのに、母親の不安まで感じとり、心配かけないように感情を抑えると思います。無事でいるのなら、できるだけストレスを解放できる環境に、子供を置いてやりたいと思います。他人の子供でも、そうです。少しでも、安心して生活できる環境づくりをしてほしい。