いよいよ、住んでいる所に戻ろうと決意して、残っている友人に連絡を取ったところ、「一度、外から見たり、家族や友人と会って安心の気持ちを確かめたりして、ストレス負けしないのが一番良いと思います。」という、温かい言葉をいただきました。残っている人たちは、まだ、ガソリンがなかなか来なくて、物流も途絶えがちで、ちょっと入ってもすぐ売り切れになる状態だと書いていました。ライフラインは通っている、被害はほとんどない、という場所から、もっと目に見えたひどい被害をテレビなどで見聞きしていると、「ガソリン来てほしい」「物資が流れてほしい」などとあまり強く主張はできず、心がすり切れそうになるのを静かに我慢しているような感じでした。
 夫が帰宅すると、とりあえず無事でホッとしました。「ガソリンはまだだね。少しずつ入りそうだけど、キミたちが帰ってくる頃にはだいぶ何とかなってきそう。何とかならなかったら、物がある所で、ある程度の買い物してガソリン入れて帰れば良いよ。」とのこと。
 次々と起こる、放射能の問題は、いちいち夫に解説してもらいました。まったく知識が入ってこず、不安に思っている友達もいるので、確実にわかっていて自信を持って伝えられる知識は、分けないといけない。でも、話相手が近くにいないということは、単純に寂しく感じました。
 阪神大震災の時には、皆必死になって、いつの間にか、無意識のうちに結束していたような気がします。倒壊した建物の比率、ライフラインについて、ちょっとした場所の違いでかなりの地域差はありました。そこの道の角を曲がれば、水は当たり前に通っていたし、あそこの角を曲がれば、家がつぶれていました。電車で数駅越えれば、ゴルフの打ちっぱなしなど、日常のレジャーを楽しんでいる人が山のようにいて、オシャレをしている人が何の曇りもない顔でさっそうと歩いていました。でも、ある程度の線引きがあって、そこの地域からこちらの自分たちが住んでいる地域は、まばらでもひどい光景が目の前に広がっている、皆が、惨状を目にする機会があまりにも多かったと思うのです。
 だから、避難する人がいても、行ける場所があって良いなと思っても、それを責める人も少なければ、避難した人が残った人に不安をあおるようなことも言わなかった。
 でも、今回は、放射能に関しての情報や知識などが飛び交い、家庭や個人によって、見解が様々過ぎて、バラバラになる感じがあります。バラバラな感じで、一つ良いことと思えることは「お互いの考え、家庭の考えを、尊重し合えるようになっている」ということでしょうか。「それぞれの考えで行動しているのだから良いじゃないか」と思えるようになってきた人もちょこちょこ出てきています。私も、なるべく友達たちに「きっと、みんな、やってることは違うけど、みんなあってるんだよ」と言うようにしてきました。それは、私の好きなサイトの、ほぼ日刊イトイ新聞の、「今日のダーリン」の文のおかげでもあります。毎日、その糸井重里さんの文に励まされました。大袈裟なことではなく、皆あっている、で良いじゃないかと思うのです。自分の気持ちに正直にいること。特に子供がいたら、我慢して不安な気持ちを抱えたままだと、子供の精神状態に良いわけがない。だから、自分が納得するようにすれば良い。