夫は「大丈夫なのには根拠があるけど、今のキミ(実際には、あだ名で呼ばれてます 笑)にはそれを聞き入れる気持ちの余裕がないでしょう。今のキミの不安を取り除くにはどうしたら良いんだろうね。」と、静かに言っていましたが、私はもう自分の気持ちをおさめるのに精いっぱいで、夫の気持ちのありがたさは、だいぶ後になってからでないとわかりません。
 夫には、こちらでの仕事があります。
 ちょっぴり告白すると、夫には、自分の没頭したい仕事と、若い人たちの未来を支える仕事とがあります。両方を突然放りだすことには、耐えがたい葛藤があるはずです。でも、私は強引に連れてきてしまいました。
 息子は、夫に説明を受けて「お父さんの説明で、よくわかったよ。お父さんの気持ちもわかったし、お母さんの不安な気持ちもわかるよ。」と話してくれた。母親としてダメだなと落ち込みました。親子関係が、この一時期、逆転してしまった。
 そして、実家に向かいました。現在、自分の住んでいた街は、正直、なかなか好きにはなれなかった。関西生まれで、帰国子女、札幌にも住んだことのある私は、「どの街にも、良い部分、嫌な部分があって、客観的に街を見ることができる。人間も一緒。」なーんて、エラそうに書いたことがあったけど、今住んでいる街は、もうすぐ7年にもなるのに、まだ好きじゃない部分の方が勝っていた。でも、車で出る時に「必ずこの街に戻ってきたい」と、強く思いました。もっとひどい被災地があるからと、物流が途絶えていても、ガソリンがなくても、声をあげられないで我慢している市民の気持ちを思って、涙が出てきそうになりました。でも、私は避難してしまう。心の中で深々と頭を下げました。
 まずは車で移動、その後電車で移動。予定より相当長い時間をかけて、某所に到着。宿泊。翌朝さらに移動して、その後実家に到着。最初に街を離れる時に、ガソリンスタンドが全て閉鎖されていて、レストランも1割も開いていたでしょうか。ところが、車を駐車した地点では、計画停電があったものの、あまりにも当たり前の日常風景が待っていました。でもそれも、阪神大震災の時、数駅違うだけで、いや、そこの道の角を曲がるだけで、まったく状況が違い、日常生活を送れたりしていたので、見慣れたような「知っている」という感じがありました。息子は、電車が遅れても、退屈になっても、珍しくグズらないで、ただ「退屈だ〜!」と言っては、電車の席でゴロゴロしていたり、申し訳なさそうな表情と声で、時々「僕、旅行気分」と言ったりしていました。「子供はそれで良いんだよ」と笑いつつ、でもきっと、私が「不安だ」と泣いたりなんかしたから、自分の感情を我慢してくれているんだと思い、切なくなりました。
 その翌朝、息子は「大丈夫だよ、安心してね、僕がいつもそばにいるよ。」と言って、私の背中をポンポンたたいてくれた後、少し照れたように「いつもの逆を言ってみたかったんだ。」と笑っていました。「ありがとう。」と笑いました。でも、心の中で謝りました。このままの関係では、息子は色々な感情をためこむだろう、もっと気持ちを丈夫にして、息子を安心させてあげなければ、と決意した瞬間でした。