夜中、何度も余震が来て、寝た気がしなかったけれど、朝起きてから、息子といっぱい喋りました。やっと「怖かった」と自分から話し始めて、二人で色々今後のことも話しました。でも、電気もガスも通っている。水も出ている。阪神大震災の時とは比較にならないほど、「大丈夫だ」という安心感がありました。
 息子には、ニュースを見せすぎないように、朝と晩、とか、昼と晩、とか気になった時だけテレビをつけて、最新の情報だけを知ろうと思いました。
 間もなく、「断水する」という情報が入ってきたので、色々備蓄はしていたけど、その時に備えることにしました。
 さらに、田舎なので、物が入って来ないことがわかりました。ガソリンも入って来ないことがわかりました。不安はあったけど、阪神大震災の時、1ヶ月近く、水が出ない中、何とか生活できたのだし、市内の別の場所では当たり前に水は出ていたし、「問題ない」に等しいと思う中、既にパニックになっている人たちがいました。水が、水がと振りまわされていて、落ち着いてほしいと思うのだけど、そういう人たちは不安が強すぎて、こちらの意見は聞けないんですね。イライラしてしまいました。
 パソコンがやっとつながったと思ったら、今度は携帯がまったく使えなくなった。これも心細い材料でした。固定電話ももちろんつながらない。寂しいと思いました。不安な時には誰かに話したいけど、発散する場がない。私がこんなで、子供の気持ちを守れるのかと段々気持ちがピリピリしていきました。
 そして、原発の問題が出てきました。何の知識もない私は、何がどうなのかさっぱりわからない。情報にまさに振り回され、そのうちこっちにも大量の放射物質がくるのではと思い、心配でいっぱいになっていきました。そして、結果的にこの地域では1割が避難したのですが、たった1割の中に、結果的に、私の親しいと思う友人の9割が入っていました。最初は、一家族、二家族といなくなり、残っている友人たちに連絡を取ると、そのほとんどが、とりあえずは一旦その場を離れる予定が入っていました。急に気持ちが揺れてきました。「大丈夫」と言い聞かせていたけど、気持ちを分かち合う人がいない。夫は「大丈夫」と言うけど、断水した時の周りの状況と同じような自分がいました。何故、大丈夫と思うのかな。まだ残っている数少ない友人とメールを交換していたら「どうして実家に行かないの?関西に実家があるなら、行けば良いのに、ダンナもそう言ってるよ。」とメールが入りました。そこへ、関西の友人から「こっちに戻ってきたいでしょう。」「心配だから顔を見たい。」とメールが来て、心が折れてしまいました。人の気持ちは、自分で大丈夫と思っていても、寂しさには負けてしまう、というようなことを後でどこかで読み、まさにこの時の私の気持ちだと納得しました。夫も連れて行かなければいけないと強く思い、夫に話しました。8歳の息子の前で、卒園式、お葬式以来、泣いてしまいました。しかも、「自分が不安」という、親としては失格の理由です。息子は、横でどんな気持ちだったのでしょう。