現在、息子が小学二年生も後半になり、忘れていたことをたくさん思い出すようになった。以前、夏休みの工作について、どうしても書きたくなって「その他」のカテゴリーで書いたのだが、その後、自分のことについても、「思い出の人たち」には書かなかった人たちについても、ちょこちょこ書きたいなと思うようなことが増えた。最近は、中学生の頃のことも思い出し、息子が少しずつその年齢に近くなってきていることを感じ、書かずにはいられなくなった。
 実は、私は、『帰国子女の苦楽』として、息子が生まれて間もなく、自分で文章をまとめた物を印刷して、学級文集のような冊子としてまとめた。そこで、自分の過去を振り返り、頭の中を整理した。子供ができて、あまりにも密度濃く、それまでに経験しなかったようなたくさんの出来事や精神的な体験があったせいなのか、たった何年か経っただけで、10年以上覚えていて書いたそういった出来事を、多く忘れていて、「ああ、書き記しておいて良かった」と、しみじみした内容が幾つもあった。
 しかしまあ、そうやって書いて覚えていることもあるし、今も鮮明な記憶もあれば、子供が生まれたことで出てきた記憶、子供の成長に伴い出てきた記憶、それに連鎖して出てきた記憶、など、山のようにある。不思議なもので、全然思い出していなかったことを思い出して、それがいやに鮮明だということもあれば、何となく度々思い出していたことが、そこで見た風景と、感情を伴って、まざまざと思い出してしまうこともある。
 そういったことの幾つか、読み手がなるべく不快にならないような内容を、できるだけ真面目に、でも楽しく書いていきたいと思い、このカテゴリーを設けることにした。
 そして、夏休みの工作の話も、ここのカテゴリーの一作目として入れることにした。
 こちらのカテゴリーでは、順を追っていかないことをご了承ください。思い出した順番だったり、書きたい順番だったりするので、突然中学生や高校生になったかと思えば、小学生や幼児期に戻ることもあります。でも、どれも心に残っていたらしい出来事で、最近クローズアップされてきたことばかりです。それは、息子の成長に伴い、私には恐らく重要であろうことと思われます。
 当時は、嫌な感情だったかもしれないことが、ほんのり気持ちを温かくするような出来事として思い出されたり、当時は何とかやり過ごしたことが、とても苦痛を伴って思い出されたり、色々なパターンがあるが、真実は、今湧いてくる感情であるということです。
 そこから目をそらしたくはない。
 考え過ぎ、と思われるかもしれない。でも、これは私の良い部分でもあるのだ。それに、私は、納得するまで考えることで、考え抜いたことに関しては、ある程度悟れることを知っている。少し達観してしまえば、同じことで悩むことはない。同じことで悩まないと何が良いのかと言えば、自分の気持ちに嘘をつくとか誤魔化すとか、考えないことを常習化するとか、そういったことが卒業できるというばかりではない、人に優しくなれる、他人の苦しみをわかってあげられることで、ただ嫌い、ただ避けるだけではない人間関係を作れる。そして何より、子供の色々な感情を少しずつだけど、受け流せるようになる。