二年生で、大好きな先生と出会えた後は、何年も先生には恵まれなかった、と書いたが、それぞれに良い所もあった。三年生の先生は、時々ヒステリーを起こしていたけど(笑)転校生の私に気を配ってくれたり、四年生の先生も、えこひいきが激しくて好きではなかったが、私の文章を格別に誉めてくれたおかげで、文を書くことが好きになった。六年生の時の先生が良かったので、その先生についても書きたいが、それより前に、塾の先生だ。
 四年生の時、私は学習塾に通い始めた。日本の公立は、私にとってストレスにばかりなると判断した母は、中学から私立に行かせるべく、塾に通わせ始めた。四年生ともなれば、勉強も段々難しくなってくる頃で、私は塾の勉強がおおいに役立って、グングン成績が伸びた。伸びすぎて、その地域ではトップの女子校に、受験できそうと言われたくらいだ。ところが、その頃が頂点だったらしく、また段々下がっていってしまいます(笑)。五年、六年となるにつれて、中学入試の勉強って、本当に難しくなる。特に算数は苦手で、文章問題には相当苦労した。これは帰国した時からずーっと続いてしまった。その文に書いてある意味を、助詞の意味まで考えてしまうのだ。「これ『を』?それ『が』?何で、どうやってそうするんだ?そして単位が???」と、文章問題に書いてあることを頭の中でいちいち想像しようとし、ややこしいことになってしまう。暗記も苦手ではなかったのに、面倒くさがってしまい、覚えなければいけないことも、段々皆と差がついてしまった。まあこれは、後々の話でね、四年生で、塾に通い始めた時にはとにかく成績が伸びて、上のクラスに上げてもらい、その中でもトップで、勉強が楽しくて仕方なかった。学校では意地悪をする子がいて、授業以外を楽しいと思えない時期である。そんな時の塾は、私にとって救いであった。クラスの友達も、色々な学校から来ていて、お互い偏見がないので、皆でよくフザけた。H先生は、生意気な私をことさら可愛がってくれた。態度は、多少エラそうだったし、怒ると厳しくて怖かったが、私はその先生と生意気にも対等に口をきかせてもらっていた。面白かったし、全体的な印象は決して悪くはない先生であった。
 例えば、H先生が足の貧乏ゆすりをすると、私が足で踏んで止めた。一瞬動きが止まったが、面白がって先生がまた貧乏ゆすりをするので、また足で踏んで止めた、を何度か繰り返した後、先生がニヤニヤしながら「何でそんなんするん。」と聞くので「貧乏ゆすりしたらアカン!」と言ったら、ワハハ!と笑っていた。
 成績の良かった私は、その塾系列の、進学塾を勧められて本格的に中学受験に向けて勉強し始めたが、そこの塾の猛烈な感じに、私はついていけなくて、成績も落ち込んでいき、見かねた母が、結局元にいた学習塾に戻した。でも、中学受験はあきらめていなかったので、社会と理科は母が見てくれて、算数に関しては、そこの学習塾の授業が始まる前にH先生や、別の先生が、私の勉強を特別に見てくれていた。
 学校の勉強を追うだけの学習塾でも、6年生にもなれば、レベルは上がっていて、私よりできる男の子はいた。私は進学塾で身につけてしまったカンニングのくせが出てしまい、H先生と目が合ったことがある。H先生は、注意せず、とても悲しそうな目をしていた。私はそれ以来、カンニングというものを、その後、生涯一度もしていない。
 そして、そのH先生が「Kには(私の旧姓です)、あの学校の校風が合うと思うで」と言われた私立を勧められて、受かり、通うことになった。多分、レベル的なこともあったのだろうが、あのアドバイスを今でも心から感謝している。大好きな学校となったからだ。
 本当にお世話になった先生である。あの先生のお陰で今の私があると思う。