仲良し5人組の中の、さらに二人の友達たちのことも書いておきたい。
 中学三年生の頃、Nちゃん、I と既に仲が良く、同じクラスにいたのが、入試の時に気になったYである。お陰で、Yと一気に近づき、Yから、猛アタックのような形で親しくなった私は、Yを放っておけなくなり、この子のために気持ちを尽くそうと思ってしまった。
 でも本来、友達って、そういうものではないでしょ?楽しいだけでなく、自分が思う話題を、思いついた時にできて、その話題選びに気を使うこともない。そして以前も書いたように、お互いの価値観が似た上で(←ここが大事なんですけどね)、考えの違いを率直に言い合って、「あなたはそうなのね」と、当たり前に尊重できる人が私の好みの友達です。以前から書いているように、束縛感のない、お互いの友人関係や世界に口出ししないというか、お互いのそこら辺が気にならない人ですね。あと、人前でもさほど態度や主張内容が変わらない(そりゃある程度は、人数の関係や相手によって態度は変わると思います)というのは、私の中では友達を見る時の、重要な判断デス。とにかく、フェアでなくてはいけないのだ。相手が気分良くなるために、自分の感情を我慢したり、気を使い過ぎるのでは、対等な関係ではない。でも、中学高校の頃の私は、自分を犠牲にして、友達と付き合うようなところがあった。それが良いのだと勘違いしていた。そして、Yの気持ちを強く感じで、私はYのことを裏切りたくない、大事にしようと思ったのだ。
 幸い、興味のある、男の子に関しての話題が、Yとは、中学生の時から事欠かなかった。誰それのファンだという話や、どこが良いんだという話から、そのうち年齢が上がるにつれて現実の男友達とか、大学になれば、もっと細かい話までできる相手だったのだ。
 中学三年で知り合った5人グループの、最後のもう一人は、Tと言った。
 彼女は、高校生当時、自分の世界観を周りにわかってもらえるはずだという思い込みが強かったために、他の3人も私も、大いに抵抗してしまった。抵抗しすぎて、彼女を泣かせてしまったこともあるくらい。当時の彼女の、女の子らしいつきあいに反発を感じてしまい、Yとよく文句を言ってしまっていました。このことは、彼女に直接謝っています。私も当時、柔軟な気持ちになれない、人を平気で傷つけてしまう女の子でした。しかしその後、よく知るにつれ、Tの考え方に共感したり、心の中のあらゆる葛藤もわかったりして、距離を縮めていった。人を思いやり、世話を焼きたいタイプであることもわかった。
 ややこしくなってきたのは、高校を卒業して、日々一緒じゃなくなってきた頃からかなあ。日常の会話が減った割に、お互いの「自分の考え」というものが、しっかりできてきて、そうするとお互いの考え方や価値観の、大事な土台部分が意外と違ったことがわかってきた。土台部分が似ていて、その上の部分が違うのは構わないのだが、私にとって「ここの考え方は、似ているという前提で、お互いの考え方の違いを率直に話す」ことはすごく大切なのだ。そして、その4人とは、気持ちの距離を感じていった。
 でもね、一人ひとりと喋ると、可愛くて楽しい子たちなの。弱い部分を見せてくれて、色々相談してくる。私も色々相談した。そして、また私のわがままなところである。一人対一人で喋る感じと、皆で集まった時の感じが違ったり、本音じゃないというのが見えたりすると、途端に引いてしまうのだ。あんなことを相談していたのに、それは、私の前でだから言えたのだろうけど、本音を知っているだけに、皆との会話が表面的で嘘臭く思えてしまった。その辺の適度な距離をはかることができなかった私は、少しずつ間に引いている線を太くしていってしまった。