仲良し5人組だった友達たちのことについて、少し詳しく書かせていただきます。
 さて、前回書いたNちゃんと、しょっちゅう憎まれ口をたたき合っては笑い合う I は、かなりの間、私のお気に入りの人物となった。何か向き合いたくない闇をかかえていたようだけど、独特の世界を持ち、かなりのお笑いのセンスで私をしょっちゅう笑わせてくれた。
 絵がとても上手で、特に漫画などを描かせると、ストーリーも絵もコミカルで、笑いに満ちていた。彼女は、私のドンくさいところにいち早く気付いて、よく漫画のネタにしては笑った。表現が上手で、私もそれを読んでは大笑いしていた。大学卒業後、少し働いた彼女は、さらに絵の方面で専門学校に通い、トップで卒業したようだ。成績優秀が故に奨学金をもらいながら通う彼女に、私は大きな誇りを感じていた。
 それとは別に、印象的だったことが幾つかある。高校三年の時のクラスで、その仲良し5人組の中で一緒になったのは、I だけだった。校内のバスケットボール大会で彼女と同じグループになって、負けると一緒になって泣いたり、卒業文集で文集係(皆の文を編集する仕事)に立候補して、二人で挿絵を描いたりした。彼女はもちろん自力で。私は、あらゆる絵本から、挿絵を写して隙間を埋めた。
 よく楽しんだのは、体育の授業のバトミントンだ。高校三年、二学期以降の体育の授業ともなると、あとは卒業するばかりだからか、とても自由だった。何か好きなことをして身体を動かしていれば良かったので、皆思い思いに、テニスをしたり、バトミントンをしたり、バレーボールをしたり、バスケットボールをしたりだったと記憶している。数人ずつ、クラスの仲の良い人同士で遊ぶといった感じで、I と私はいつもバトミントンをしていた。I は、文化系の部活に属していたが、運動神経が良かった。走りは速いし、やったことのないスポーツでも、何でもこなせる子だった。私は、以前、このエッセーのどこかのカテゴリーに書いたように、得意なものと不得意な物、好きなことと嫌いなことが、ハッキリ分かれてしまっていて、全般的に見て、運動は「得意」と言えるタイプではない。でも、バトミントンは得意な方だったので、I と始めると、止まらなかった。どれだけラリーが続くか、二人でできるだけラリーの数の大記録をねらっていたのだが、お互いの打ちやすいように打つと、大抵首を上に傾けて、同じようなポーズを取ったまま、数を数えていくので、だいたい何十回かに1回、その不自然なポーズを取りながら数を数え続ける自分たちがこっけいで笑えてきて、片方が笑いだすとお互いの笑いが止まらなくなり、苦しくなってきて、ミスをする、というのを繰り返していた。そしてミスを乗り越えたとしても、200回位にもなると、その笑いが爆笑になって、ヘナヘナになっちゃうのだ。
 ところがある日、その笑いの山を何度も何度も乗り越えて、爆笑しながら600数十回続いた。二人でヒーヒー笑いながら座り込み、しばらく疲れたねーと言って休憩し、やっと立ち上がると、私の座った体育館の床に、汗のしみができていた。丁度お尻の形にくっきり汗染みがついていたので、またそれで二人でひっくり返って笑った。
 それが高校の時の、I との一番の思い出である。彼女にとってはどれが思い出なんだろう。
 そんな彼女は、つかず離れずの関係が高校卒業まで続いていたので、大学に入ってから、もっと色々な部分を見せてほしいなあ、と思っていたのだが。
 彼女は、決して自分の闇を明かさなかった。少し明かしては、自分で後悔していたので、そういう闇と向き合いたくないようだった。それならそういう関係でつきあえば良かったのに、もっとしっかりお互いや自分と向き合ってほしいと欲を張ってしまった。