少しUさんのこと、長くなりますね。もう一回分、書かせて下さい。
 やっと親しくなれたUさんだったが、そんなハードな勉強生活のため、学校から帰ってまでUさんと会って遊ぶということはできなかったが、私たちは仲が良かった。彼女に変わったあだ名で呼ばれ、そのために、クラスの男子の人気者になった。そして小学校の、生徒会長などの役割に近い、書記候補にさせられた。ちょっと地味な立場が私向き(笑)。
 その選挙演説を、給食の時間、立候補者は、友人を引き連れて、各教室を回ってしなければならないのだが。そこでも私は、やらかしてしまった。何度も同じセリフを何分かおきに違う教室で言わなければならないことに、当初の私は辟易していた。そんなに自分でやりたいと思ったわけでもないのに、無理矢理立候補させられていることにも不満があった。そして、そのストレスを彼女に向けてしまった。教室から教室へ移動中、「もう少しUさん、大きな声で言ってくれたら良いのに」と言ってしまった私に、Uさんは怒った。「アナタがそんなこと言う人だと思わなかった!アナタだって、早口に言ってフザけてるみたいに聞こえるよ!」ぷんぷんした口調で、かなり怒っていた。自分が本気でこれに取り組んでいない、したくもないことを無理矢理させられているスネた子供みたい、というのを見透かされて指摘されたようで、恥ずかしくなった。しばらくの間、ぷんぷん怒られてしまったが、サバサバしたUさんは、すぐまたいつものUさんに戻って、楽しくお喋りするようになった。それが一回きりだけど、ちょっとした喧嘩だったかもしれないです。
 私たちは、ブランコにハマって、休み時間になると、チャイムと同時に教室を飛び出て、一番に運動場のブランコ目指して走り、150度くらいも振れているんじゃないかと思うくらい、ブンブン立ちこぎをしまくった。彼女の好きなところは、やはり束縛感がないところだった。楽しかったので、何かと私は一緒にいたがったが、クラス全体でゲームをして走り回る時や気ままに過ごして良い時までベッタリ一緒ではなかった。受験勉強のために、帰宅後も一緒に遊ぶことができないということにも、彼女は不満を言ったことはなかった。
 しかし、受験が終わり、合格発表があり、卒業まで残り一カ月という頃に、私たちは毎日のように約束をして帰宅後に遊びまくった。下手なコントまで作ってお互い笑いながら練習し、友達同士のお別れ会の時に披露した。
 好きな男の子の名前をお互いに言い合ったこともある。キャーキャーと遊ぶ休み時間に、二人でその日は、運動会の隅で、座って静かに話した。でもだからお互いどうしたということもなく「へぇ、そうなんだ。」と、お互いニヤニヤしながら言って終わり。
 そして卒業式。
 私たちは大泣きした。私たちらしいのだが、特に抱き合ったりお互い寄り添うことなく、お互いがそれぞれに大泣きしていた(笑)。私にはあまり楽しい小学生時代ではなかった。いやな記憶の方が多い。やっと楽しんで通えるようになった6年生であった。ようやくできた仲良しなのに、別れなければいけないことがとても悲しかった。私は私立に通うということもあったのだが、彼女も父親の仕事で引っ越しが決まっていた。学校が変わるということだけではなくて、彼女はその土地からもいなくなってしまう、それが寂しかった。
 母に、何枚か写真を撮ってもらい、別れた。
 その後、何通か手紙をやり取りした後、お互いの学校環境やその後の生活環境のあまりの違いに、やり取りは少しずつ減っていった。でも。
 私はずっとUさんのことが大好きだったし、彼女に関しても、今会いたい友達の一人だ。