アメリカに住んでいた頃、夏休みになると、デイキャンプに通っていた。
 アメリカの夏休みは長い。毎日のように、プールで遊んだり、デイキャンプに通ったりしていた。デイキャンプは、日帰りのキャンプで、キャンプと言っても、テントを張ったりバーベキューをしたりするものではなく、単にキャンプのリーダーであるお姉さんたちに見守られながら遊ぶ、といったものだ。
 場所は、大自然の多いキャンプ地で、そこで引率されながら細い川沿いを歩いて、興味のある葉を取って画用紙に貼ったり、小さなタイルを使って工作したり、乗馬体験をさせてもらったり、トランポリンを楽しんだり、ハンカチ落としのようなゲームをしたり、食堂でランチを食べたりだった。
 日本人の友達は多かったし、行き帰りのバスの中では、爆笑の連続で、本当に楽しくて仕方なかったが、特定の友達やグループがあったわけではなく、存在していたにしても、私はとてもその辺が無頓着で、一人でいても平気だったように記憶している。帰りのバスを待っている時に、アイスキャンディーを食べても良いのも楽しみで、その芯になっている棒を集めて、何やら工作らしき物を作るのも楽しかった。特定にはいない友達と喋ったり遊んだり、一人で昼食を摂ることもあれば誰かと席が一緒になることもあり、プールの時間に水着に着替える時も、小さな個室に2〜3人がリーダーに押し込まれて、見ず知らずの子たちと「狭い」ということを我慢しながら眉間にしわを寄せつつ着替えたり。
 確かに、そこら辺の子供と、誰彼となく平気で喋って、一人の時も孤独を感じたことはなかったはずなのだが。ただ、プールの時間に気になる女の子がいた。
 その子は肌の色が浅黒く、白人でも黒人でもなく、水着も独特の緑色のチェックだったように思う。目がクリクリと大きくて、英語もあまり喋れないのか無口だった。
 他の時間には何故かまったく気にしない彼女のことを、プールの時間には気になって仕方なかった。おそらく、私が水泳の授業を受けずに一人で遊んでいたためか。
 プールの時間は、上手になりたい子は、自分が思うランクのグループに参加して練習していた。私も友達に誘われて一度参加したが、自分のレベルに合わないと思い、一人ひとり、手取り足取り教えてくれるわけでもないので、すぐ自由に遊ぶ方を選んだ。そこでも特に一人でも気にせず、水とたわむれていた。
 すると、大抵その女の子も一人で遊んでいるのである。彼女の独特の水着と、独特のクリクリのくせっ毛と、というくらいならアメリカでも受け入れられるだろう。しかしどうも、周りの子の反応を見ていると、それに加えた無口さ、彼女の消極的な姿勢が、彼女を一人きり、孤独にさせているようだった。プールでの彼女は、とても寂しそうに見えたのだ。
 そこで私は彼女のそばで遊ぶことにした。彼女が何かしていると手伝い、彼女が笑顔を浮かべると、私も一緒に笑った。大きな目の彼女は、表情がとても豊かで、ちょこちょこと私に話しかけてくれた。彼女の反応が嬉しくて、プールの時間になると、彼女を探して、一緒に遊ぶようになった。
 彼女の名前を私は覚えていない。国籍も知らない。でも、細い身体の彼女が、嬉しそうにシャキシャキと動き出して、「こうしてみようよ」「ああしてみない?」と提案しながら遊ぶのが私にもとても嬉しかったのをよく覚えている。どんな大人になっただろう。彼女は、当時のことを覚えているのだろうか。